【氷上の追憶2024 Vol6】山根 範子

 

法政大学/都立三鷹中等教育学校
MG #781  山根 範子

 

2025年2月11日午後1時

約一か月間に渡って書き上げたwordファイル11ページ、約9000文字の追憶が完成した。

 

 

 

 

が、気付くとそのファイルは消えてしまった。

いつの間にかファイルはショートカットに変わっていて、さっきまで編集していたはずなのに開けなくなって、元のファイルはどこかに消えてしまった。

 

人生大変なことばかりかもしれないけれど、この部活で過ごした4年間を振り返れば、どんなに辛いことも乗り越えられる、そう思わせてくれる4年間だった。

これから追憶Take2を書いていこうと思う。

 


東京大学アイスホッケー部4年スタッフの山根範子です。

昨年度はたくさんの応援、ご支援を賜り、ありがとうございました。
今年度も引き続き東大アイスホッケー部へのご支援よろしくお願いいたします。


1年生
4月、初めて体験入部で練習に参加したのは東伏見のスケートリンクでした。深夜のドライブ、スケートリンク、アイスホッケー、マネージャーという存在、すべてが新鮮で楽しかったです。先輩方が優しく声をかけてくださり、泉山さん、大森さん、中村さんが同い年という今では定番の話をしてくれたのを覚えています。コロナ禍で十分に活動しているサークルや部活動が学内の自分のキャンパスに少なかったということもあり、東大アイスホッケー部に入部しました。東伏見に向かうガタガタと揺れる坂道の、体験入部に行った日の記憶が今も鮮明に思い出せます。
1年生の頃は体育会の雰囲気もよく分かっておらず、里佳さん、ゆまさんにたくさん手を焼かせてしまったことと思います。申し訳ございませんでした。1年生の頃はスケジュールにおいて学業やアルバイトとのバランスの取り方が分からず、とにかく大変だった記憶があります。仙台での七大戦では、3年生の先輩方が牛タンや焼肉をご馳走してくださいました。この恩はまだ返しきれていないので、卒業後も後輩をたくさんご飯に連れていこうと思います。
毎回練習の度に送っていただいた泉山さんを始めとして4年生の皆様にはたくさん甘えさせていただきました。本当にありがとうございました。

 2年生
松井さんをはじめとする心強い4年生の先輩方が部を引っ張っており、ただ背中を追いかけてついて行けば良いという安心感がありました。マネージャー業も半人前でしたが、仕事を一通り出来るようになり、笛の仕事をやらせてもらえるようになったことがとにかく嬉しかったです。笛の担当だった日は必要以上ではないかというほど振り返りをしました。りかさんには仕事を1から全て教えていただき、マネージャーとしてどうあるべきかを示してくださいました。手をかけて育ててくださり、ありがとうございました。
この1年間はプレイヤーも安心感があったのか、試合でも生き生きとプレーして、たくさんのカッコいいプレーを見ることができて、楽しかったです。今でも松井さんはあまり動いていないように見えるのにいつの間にかゴールを決めていて、尊敬します。
先輩方の引退が近づくと、翌年からスタッフの最高学年になることが心配で松井さんやりかさん、ゆまさんにこれからどうしたらよいかをたくさん聞いていたように思います。
たくさん聞きすぎてうんざりだったと思いますが、質問に答えてくださり、ありがとうございました。
2年生のとき印象的だったのは藤田さんの存在です。他の先輩方が真面目に部活に取り組む中、藤田さんは部員を笑かすことばかり考えており、自分に無いものを持っているところを尊敬していました。大河はしっかり藤田さんの血を受け継いでおり、大河が休部から戻ってきたときも部が一気に面白くなりました。またお会いしたら、笑かしてください。

3年生
スタッフの最高学年になり、どのように仕事を進めていくか悩みました。仕事のことでいっぱいいっぱいになり、必要なコミニュケーションも欠けていたように思います。後輩にはたくさん迷惑をかけ、1年間ついてきてくれたことに感謝しかありません。
寛容に受け入れてくださった中村さん、松本さんありがとうございました。

4年生
4年生になって初めに書いた決意、部活を楽しみ尽くすことを目標にしていました。
1年間終わって振り返ってみると、とにかく楽しかったです。
スケートは4年間で全くといって良いほど上達していませんが、決意に書いた通り私もアイスマンになったと思います。

 4年生になって、執行代として活動する中で私たちが部活動を出来ていることが周囲の方のおかげであることを強く感じました。また東大アイスホッケー部をたくさんの方が応援してくださっていることを感じました。
本当にありがとうございました。

伝えたいこと

1.

3年生の時2ヶ月休部した。

休部直前は抑うつ状態で微熱が続く中、部活に参加していた。

それまでたくさん部活の仕事を受け持っていた。広報の仕事、マネージャーの仕事、どれも自分がやらなきゃいけないと思っていた。でもそれがやりがいだと思っていた。

休部して、慶ちゃんや後輩に仕事を急にお願いすることになり、申し訳なかった。

休部中、今まであんなに大変な思いをして頑張ってきたのに、自分がいなくても部活は回っていくんだな、とただただ自分の必要の無さを感じた。

夏合宿、なんで復帰するのかもわからなかったが、2ヶ月で復帰すると伝えていたことと、慶ちゃんへの申し訳なさから復帰した。

たくさん迷惑をかけたのに、みんなが温かく迎え入れてくれた。自分がいなくてもよいのではないかという悲しさ悔しさとは裏腹に、自分の穴を埋めるように頑張ってくれていた後輩の成長が嬉しかった。

仕事を自分だけがやっていた時よりも心に余裕ができた。その心の余裕で部についても落ち着いて考えられるようになったし、自分から後輩に話しかけてコミニュケーションを取れるようになった。自分だけが仕事をできる状態よりも、みんなが仕事を出来るように教える、そして自分の得意な仕事が増えるようにまた努力する。それが強い部活を作ることに繋がると気付いた。

2.

なんのためにやっているんだろう。

これは4年間ずっと自分について回った悩みだった。チームの勝利が嬉しかったり、遠征や合宿でみんなと過ごす時間が楽しかったりする気持ちと、部活の大変さ辛さを天秤にかけたとき、後者が重くなると決まってこの悩みを反復してしまった。

4年間を終えて考えてみても、この悩みに答えはなかった。

チームのため、勝利のため、プレイヤーのため、将来のため。辛いときの自分にとってはどれも綺麗事にしか聞こえなかった。

でもなんのために頑張っているかわからないと思いながら4年も頑張れたことは、辛い時手を差し伸べてくれたり、一緒に頑張ってくれた仲間のおかげであるし、それが大きな財産になったと思う。

強いていうなら、自分のため、これが1番正解に近い気がする。

4年生になって徐々にこの悩みから解放されていった。終わって考えてみると、それは決意に書いた「楽しみ尽くすこと」を目標として、日々頑張ったからだと思う。

これを決意に書いたときは、仕事や責任感とは1番程遠い目標だと思っていた。

でも仕事が辛いとき、この心掛けのおかげで楽しもうと前向きになれた。前向きに仕事を頑張れるようになったことで、仕事にもそれが表れ、チームの一員として徐々に信頼されるようになったと思う。

チームにいてもいなくても変わらないと思っていた自分がチームの必要で大切な一員であると思えるようになってから、急に部を支え応援してくれている人の存在が見えるようになった。部に関わってくれている人に心の底から感謝を伝えられるようになった。

そもそも私は部への帰属意識がずっと感じられずにいた。それはどんなに仕事を頑張っても、口に出して評価されることは少なく、自分がプレイヤーの5分の1くらいの価値しかないと感じていたからだ。4年生になって、そんなことはないと気付かされるまでずっと感じていた。そんな状態でこの過酷な部活をやっていけるわけがなかった。

スタッフのみんなには、どんなに上手なプレイヤーとも変わらず、自分も同じくらい価値ある部員で大切な時間を部に使っていることを忘れないでほしい。だからこそ自分のために部活を頑張って欲しい。

3.

この部活はずっと大変だと思っていたし、引退して振り返ってみても益々大変だったなと感じる。

無理しすぎずに自分を大切にして頑張って欲しい。

まず深夜であること。特に1年生の頃、26時台からの枠も多く、訳の分からない生活だった。引退して生活リズムが普通に戻ると、朝7時に起きて1限の時間に大学に行くこともそこまでの苦痛ではなくなった。寝不足から解放されて脳みそのスペックも一気に上がるし、情緒も安定した。

次に練習場所まで遠いこと。3年生の春、江戸川の練習ばかりで、ちょうど自分が運転好きでないことに気づき始め、練習場所までの運転が辛くて部活をやめたいとばかりおもっていた。水田が運転してくれてありがたかった。心配性すぎて運転にビビってしまい申し訳なかった。原が入部してくれて運転が半々になるどころか、江戸川や船橋の遠い練習場所のときは原が車を出してくれた。日高や廣川にも送ってもらった。本当にありがとう。

自分で運転して部活に行くという当たり前を体験できて、このありがたみに気づくことができてよかったと思う。

1,2年生の頃もずっと先輩が送ってくださり、上の学年になっても後輩に乗せてもらうことが多く、本当に感謝でいっぱいです。ありがとうございました。

人によってもその大変さは様々で、見えないところで部を支えてくれている人もいる。慶ちゃん、りなちゃん、みこちゃんは自分で車を出さないと部活に来られなかったり、後輩を送って行ったりと同じスタッフでありながらその苦労には頭が上がらない。

スタッフの運営について考える上で、律することはこの大変さを否定することに繋がると難しさを感じていた。自分が苦労している側でないなら、なおさらである。

完璧な運営をすることはできなかったと思うが、苦労に耳を傾けて運営をすることが大切だと慶ちゃんのおかげで学ぶことができた。

自分の大変さを理解してもらったり、少し手を差し伸べてもらったりするだけで大きく救われた。また、部活動の中で自分が助けたことよりも助けてもらったことの方が多く感じている。

本当にありがとうございました。

 

 4.

相談してみる、主張してみることが大切であること。

部活をやめたくなったとき、嫌なことやわがままばかりで面倒だったと思うが、同期が根気よく話を聞いてくれた。話を聞いてくれるだけでなく、少しずつ部活の中での関わり方も変わっていって、最大限配慮してくれた。

こんな小さなことで、と思うことでもとりあえず伝えるだけ伝えてみるのは大切かもしれない。

やりたい仕事も声に出してみることで、すぐには実現しなくても少しずつ変わっていくと思う。

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OBOGの先輩方、保護者の皆様、檀野監督、コーチ陣、後輩のみんな、スタッフのみんな、4年間本当にお世話になり、ありがとうございました。

 

両親

車や遠征費、合宿費など本当にお世話になりました。おかげで4年間でたくさんの思い出を作ることができました。深夜であることにも理解を示してくれて、たくさん試合の応援に来てくれたね。4年間支えてくれてありがとう。

木村

なかなか覚悟の決まらなかった自分は与えてもらってばかりで感謝しかない。優しさと行動力で助けてくれてありがとう。自分本位な悩みにも耳を傾けてくれてありがとう。

金森

体験入部に行ったとき、かなり怖くて仲良くなれないと思っていた。でも、仕事のことや困ったことは気軽に相談できて不思議と相棒のような存在になっていた。ありがとう。

なおき

「やっぱり自分がAマークをやるべきだと思う」と言ったとき、信頼感を覚えました。アグレッシブなゴールがカッコよかったです。また同期ご飯開催しましょう。

大河

北大戦の前、いつもふざけてる大河が緊張でもじもじしている姿を見て私も緊張しました。最後までゴールを守ってくれてありがとう。

増澤

カタール行ったり、奇抜な髪色だったり、フィロソフィーだったり、個性が溢れていて同期に欠かせない存在でした。最後にワクワクする成長を見せてくれてありがとう。

間宮

相談に乗ってもらうだけで悩みがなくなる、魔法使いのような存在でした。こんなにも努力で、目標が現実になることを知りました。夢を見せてくれてありがとう。

川口くん

ボードゲームやボイスメモのアプリなど自分にとって新しくて楽しい試みが多かった。優しく純粋で、部活の悩みにも深く耳を傾けてくれた。ありがとう。

竹本

部活のことで相談すると、慰めるでも共感するでもなく、常に厳しく部にとってどうあるべきかを示してくれた。おかげで自分もプレイヤーと同じように大切な部の一員であることに気付かせてくれ、責任を持って頑張る覚悟を持たせてくれた。竹本がゴールを決める前の、時が止まるようなあの空気が大好きだった。4年間本当にありがとう。

慶ちゃん

一緒に最後まで頑張ることができて本当に嬉しいです。どうするべきかたくさん話し合ったり、合宿や遠征で仕事を頑張ったり、慶ちゃんと一生懸命頑張った日々は宝物です。大変な時も一緒だったから辛さ半分で頑張れたよ!一緒にビデオを撮ると自分が考えたこともないような面白い話が出てきて、その才能に惹かれました。今まで本当にありがとう!これからもよろしく!

まだまだ大切な後輩たちや関わってくれた皆様への感謝の気持ちを数ページに渡って書いていたが、数時間で復元できるほど感謝の気持ちは薄くない。消えたファイルの中にたくさんの感謝が詰まっていることを弁明して、追憶とさせていただきたい。

東大アイスホッケー部を通して関わってくださった皆様、4年間本当にありがとうございました。