【氷上の追憶2022 VOL.8】中川 祐人

農学部/岡山朝日
DF #24 中川祐人

情けない4年間でした。
最後の大会で関西大学にコテンパンにやられた直後は清々しい気持ちに満ちていたのですが少し時間があいた今、いざ4年間を振り返ってみると嫌な汗をかくような苦めの記憶がたくさん蘇ってきました。
例えばルールを把握できていなかったり、メットが明らかに錆びすぎていたり、練習中の転倒回数は群を抜いていました。
でも実はこんなものはまだ表面的なかわいいもので、もっと根本的に何かが間違っている道を歩んできてしまったのと思えるのが僕の4年間でした。

あまり人に話せるような4年間ではないのですが、せっかく追憶という機会があるので振り返ってみたいと思います。

アイスホッケー部に入ったのは、テント列の日に自分に声をかけてくださったいろんな団体の人の中で、当時3年生の陸人さんが一番魅力的に感じたこときっかけです。新歓氷上では移動することすら出来ず、アイスホッケーの楽しさはさっぱりわからなかったのですが、なぜか入部しました。
1年生の自分は、「何事にもこだわらないこと」への強いこだわりがあったように思えます。なにかで人に負けても必死になって競わないことに、心の余裕や美徳があると考えていたのだと思います。(体育会に入っているのに)
その結果としてホッケーが下手でも「悔しい」だとか「なんとしてもみんなより上手くなってやる」といった熱い気持ちは、正直まったくと言っていいほどなかったです。必死になることを避けながら、ずっとヘラヘラしていました。
上達への熱意は圧倒的に足りなかったのですが、何も出来ない状態から始まった一年生は、単純に練習すればするだけできることが増えていく時期でもあり氷上練習は楽しく、熱意のなさが問題とは思いませんでした。藤田、並木と参加した下級生練習は今でも思い出すくらい楽しかったです。

(1年生夏合宿)

余談ですが、同期の上中を本気でキレさせたことはどうしても追憶に書こうと決めていたので触れておきます。自分は人と関わるのは得意だと思っていたのでショックで、ここから他人との関わり方を大きく変えることになりました。上中とは車が一緒だったので、なんだかんだ仲良くなれた(と思っている)のでよかったです。今の上中にならエビ投げても許してくれるんじゃないかと思います。

2年生はコロナで上半期はほとんど部活が出来ず、活動再開してすぐに秋大会があり、そのまま終わってしまったという印象です。
相変わらずヘラヘラしていたのですが、秋くらいに尊敬している安東さんから「中川はプライドはないのか」と真顔で問わました。
いつも飄々としていて、自分と同じようにこだわりがないと思っていた安東さん(自分にはそう見えていましたごめんなさい)がとても熱い男であるという事実に気付かされました。(というか気づいていないのは自分だけでした)
そして今までの考え方は恥ずかしいものだと思うようになりました。
その後すぐに熱い気持ちやプライドが芽生えたかどうかは怪しいですが、この頃を境に上手く出来ないと悔しいといったことを思うようになった気がします。
チームの方は秋大会で圧勝を繰り返して優勝しました。松井をはじめとする経験者の同期が改めて大会で活躍しているの目の当たりにして、経験者と未経験者がこんなにも違うのかと少し違和感を覚えましたが、はじめての大会ということもあり、楽しく大会期間を終えて遠藤さんの代の卒部を見送りました。安東さんや陸人さん、よく遊んでくださったばらおさんやけんさんが引退してしまうのはかなり寂しかったです。

3年生になると大学の学部の授業がとても忙しく、体力的にきつかったです。
変な時期に芽生えてしまったプライドと明らかに劣っている実力がまったく噛み合わず悶々としていました。上級生になったのに全然実力が足りてないことへの焦燥が大きかったです。大会が始まると、自分よりも圧倒的に上手な遠見さん達がチーム内の雰囲気に苦しんでいるのをみて、経験者、未経験者の実力差がありすぎる構造への不満が大きくなり、最終的にはこんな気持ちで部活をしているのが馬鹿馬鹿しくなって、退部を決意しました。
遠見さんの代や同期、話を聞くために駆け付けてくださった先輩方には大変ご迷惑をおかけしました。
結局、藤田のアチイ言葉に震えて部に残って頑張ることにしました。どのように震えたかは恥ずかしいのでここには記しません。
頑張ると決めて部活に復帰したので、これまでとは明らかにホッケーとの向き合い方は変わったのですが、そう簡単に実力が変わることもなく、秋大会の上智戦では盛大にやらかしたり、練習でも足を引っ張り続けていたので、うまくなったのかなっていないのかよくわからない感じでした。
1つ上の代の遠見さん達は本当によくしてくださったので、引退してしまうのが特に寂しかったのと同時に、もう上に頼れないという不安が大きかったです。ずっと仲良くしてくださっていた門脇さんがいなくなってしまうのも辛かったです。


(敬愛する陸人さんと門脇さん)

四年生の初め、檀野監督に経験者・未経験者を区別する考えの小ささに気づかされ、奮い立たされました。(檀野監督には試合のたびに気にかけていただき、大変励みになりました。本当にありがとうございました。)
構造への不満はなくなったといっても、四年生の一年間はただただ自分の実力不足と向き合わざるを得なかった一年間でした。機会に恵まれて試合には出させていただいたのですが、しかしそれゆえに出場している他のメンバーと比べて明らかに劣りすぎな自分を直視せざるを得ず、複雑な気持ちでした。
悔しいし情けないからうまくなろうと自分を鼓舞してアイスホッケーと向き合あった一方で、手遅れ感を感じながら練習に参加するのは何とも言えない嫌な感覚でした。
(行き帰りの車が同じだった同期の上中と岸本は、僕が練習で心が荒んでも帰り道に浄化してくれる本当にありがてえ存在でした。特に岸本には4年間一番お世話になったけどこの文章では逆張りで細かく書きません)
練習をしていて、ちょっとうまくなったんじゃないかと思うことは何度かあったのですが試合で活躍とかは程遠く、決意に記した「自分がいないと勝てなかった試合」も全くないまま、
「4年生でこれはダメだ」と思い続け、「次の試合こそは」と思い続けていたらあっけなく最後の試合まで終わってしまいました。無念。

改めて振り返ってみるとやっぱり変な四年間の使い方をしてしまっていました。自分でもわけがわかりません。
悔いはあるし、決して満足だったいえる四年間じゃあなかったと思います。「悔しかったけど価値はあった」みたいな前向きな解釈もここではしないことにします。稚拙かつ本当にとりとめのない文章になってしまいました。
ただひとつ思うのは、ずっと先の自分がアイスホッケー部人生を思い出すときに、この文章とは全く違った思い出し方をしていたら面白いなあということです。


同期のみんなは、4年間本当にありがとう。
松井をはじめとして、上手な奴だらけだったけど手を差し伸べてくれるあったかい奴らだったおかげで最後まで頑張れました。一人一人に感謝すると長くなるのでここには書きません。
かなり迷惑をかけまくったけど最後までみんなで引退できてよかったです。はずいので短いけどここまでにします。

試合中はちょっと怖い奴が多かったけど、頼もしくて、上達に貪欲で、たくさん部を盛り上げてくれた後輩たちには感謝してもしきれません。
先輩として後輩のみんなと接することに何か後ろめたさのようなものが大きくて、積極的に後輩たちとかかわることができなかったのが心残りの一つです。(川口とかよく質問してくれたりしたのに全然答えなくてごめん。)
そんな僕にも特に積極的に明るくかかわってくれた増澤と大河には頭が上がりません。本当にありがとう、うれしかったです。
心から優秀だと思える後輩ばかりなので、執行代が中村の松本の二人だけの来年ですが特に心配はしていません。きっと大丈夫だと思うので思い切り楽しんで頑張ってください。
もしきついことがあったらこれを思い出して頑張ってください。試合は行けたら見に行きます。

大袈裟だし恥ずかしいのは重々承知の上で、最後にやっぱり同期の並木と藤田の名前をここで挙げちまいたい。
二人は上達のために努力を惜しまない眩しい奴らで、未経験で一緒に始めたはずなのに、どうあるべきかを背中で示してくれるアツい男達でした。二人と最後まで頑張れたことが誇りです。秋大会筑波戦の並木の先制点は心から痺れました。四年間で一番熱い気持ちになれたのはあの瞬間です。藤田とはシャトルを打ち上げられなかったのが悔やまれます。とにかく、二人みたいなかっこいい人間になりてえと心から思ってます。

最後になりますが、檀野監督をはじめとするOBOGの皆様、保護者の皆様、リンク関係者の皆様、小笠原さんをはじめとする合宿でお世話になったたくさんの方々、4年間本当にありがとうございました。
今後とも変わらぬご支援のほどを何卒よろしくお願いいたします。