【氷上の追憶2022 VOL.9】岸本 大聖

法学部/灘
GK #1 岸本 大聖

良い思い出を書きます。

1年生のころは同期の上京勢のうち3人が駒場の近くに住んでいて、陸トレ帰りによく中川の家に集まってゲームしたり鍋したりしていました。写真は深夜2時、スマブラに飽きて練習ビデオの反省会が始まった様子です。この頃の体験は間違いなく原点です。同期と一緒にいるのが楽しくて、すべてが新鮮でした。

6月ごろ、1年生の中からキーパーになるプレイヤーを1人決めるよう先輩からお達しがありました。それまでは自分も含め全員プレイヤーの防具を着て練習していたのですが、当時OB1年目だった桜木さんに感化されてキーパーに立候補しました。なぜか中川も立候補していたので争いが発生しましたが、当時の中川はヘラヘラしすぎていて周囲からの支持を得られなかったため僕がキーパーの座を勝ち取りました。争いの中で中川に「おれはお前より上手いキーパーになれる」などと言われてむかついたのを覚えています。今思うとそれはないですね。7月に入って部室にあったぼろぼろの防具でキーパーデビューを果たした結果、初回で鎖骨を折りました。1ヶ月見学。

8月の合宿には参加できたのですが、どういうわけか合宿が終わると同時にその年の部としての活動が終わりました。氷上も陸トレも完全に無くなり、ビジターにどうやって行けばいいかもわからない僕たち1年生初心者プレイヤーは路頭に迷いました。ただホッケーに対するモチベーションは未だ溢れ出るほどあったので、一般滑走に通い詰めたり、大森のツテで朝5時台からの早稲田高校の練習枠に乗せてもらったりして食いつなぎました。それから10月から始まった江戸川のカジュアルホッケーにはほとんど毎週通いました。車が無かったので、駒場から江戸川の最寄駅まで電車で1時間、さらにそこから20分歩く必要がありました。行きの電車は帰宅ラッシュで、さらに馬鹿みたいに重くて大きいキーパー防具を担いで歩かなければいけません。今同じことをやれと言われても絶対無理ですが、その頃は氷上の時間を確保するためならなんでもするといった感じでした。僕だけでなく大森と上中もほとんど皆勤賞で、並木や小池あたりもかなりの頻度で来ていた気がします。みんな頭がおかしいです。彼らにはあまり共感してもらえないのですが、帰り道に公園でコンビニ飯を食べながらだべったのとかすごく良い思い出です。ビジターに行けるようになってからは始発待ちを厭わず乗りまくりました。

年が明けると新体制で活動が再開しました。練習の雰囲気が大きく変わってわくわくしたのを覚えています。2月の合宿は花巻に行ったのですが、初日にはしゃいで雪で遊びまくった結果2日目でスタミナ切れしました。きつかったです。非常に反省して、それ以降の遠征では初日は大人しくするように心がけました。写真は同じく初日からはしゃいでいた前場と中川です。

それからリンクの徒歩圏内に引っ越しました。さすがに週に何度も始発待ちする生活には耐えられなかったからです。でも引っ越した瞬間にリンクの閉鎖が決まり、さらにコロナで4ヶ月以上の活動停止となりました。最悪です。再開してからはひたすら必死に健さんの背中を追いかけました。健さんとホッケーできた時間は、4年間の中で間違いなく1番密度が濃かったです。

3年生は良い思い出がほぼないので書くことがありません。唯一、12月に行った七大戦の仙台遠征だけは楽しかったです。仙台郊外のビジネスホテルに1週間滞在したのですが、夕方から夜の時間帯にホッケーの試合があり、残りの時間は好きなことをして過ごすという生活が続きました。相部屋の並木がプロジェクターを持ち込んでいたので部屋に引きこもってドラマを一気見したり、自分は炊飯器を持ち込んでいたので近くのスーパーで新鮮な刺身を買ってきてタッパ海鮮丼を作ったりしていました。近くにいろんな外食チェーン店や大きい銭湯もあって、めちゃくちゃ快適な1週間を過ごすことができました。

大会は優勝できたのですが、試合内容なんかよりもよっぽど印象に残っているのが北大戦に勝利したときの中川の喜び方です。勝利に至るまでには複雑な事情があったのですが、それを踏まえてもこのクソガキみたいに飛び跳ねている様子は滑稽ですね。

4年生、最後の年です。3月に作った新入生向けのPVは自分好みにできたのでかなり満足しています。まだ見てない方は2021年度の分とあわせてぜひ見てください。もう見た方はもう1回見てください。秩父宮杯初戦は相手校の棄権で流れてしまったのですが、代わりに同枠で組まれた立教大学との練習試合はたくさんの人に注目されました。2点目の松井のガッツポーズに鳥肌が立ったのを覚えています。あとは梅雨の終わり、陸トレ終わりに中川並木藤田と銚子まで行って朝日を見たのも忘れられない思い出です。

ラストイヤーを語るうえで夏合宿は欠かせません。釧路に行く前はモチベーションが低い状態が続いていて少し憂鬱だったのですが、完全に杞憂でした。行ってみたら全然楽しかったです。長期間大人数で泊まって何かをするなんてイベントは今後の人生でもう無いと思うとしみじみとします。みながホッケーにまっすぐ向き合っている雰囲気が好きでした。4年目にして初めてホッケーの楽しさに気が付きました。大河に関しては合宿以降キーパーとしての技術も心構えも見違えるほど良くなったと思います。本当に嬉しいです。半日オフは何したかあんまり覚えてないけど、並木が500円を手に喜んでいる写真だけは残ってました。ドキドキ感を味わえたらしいです。よかったね。

引退試合はインカレの関西大学戦でした。ここまで綺麗な形で引退することができた代は他に無かったと思います。スコアこそ大敗だったものの、レギュラーシーズンで見せ場が少なかった守備陣が活き活きと輝いていたし、親にも見に来てもらえたし、後輩にも温かく送り出されたし、この上なく幸せでした。松井は最高のキャプテンでした。

振り返ってみると、活動停止期間がかなり長かったなと思います。部に在籍していた44ヶ月間のうち活動できていたのは32ヶ月間ほどです。モチベーションを保つのが難しい環境でしたが、同期みんなよく頑張ったと思います。自分含め。そして、支えてくださったすべての人に感謝しています。その中でも最後まで応援してくれた両親、車がずっと一緒だった上中と中川、キーパーの先輩だった健さんには特別に感謝しています。ありがとう。

それでは。

蛇足を書きます。

後悔について。
入部動機は「何でもいいから上手くなってみたいと思っていたから」でした。それまで上手くなるために何かに取り組んだことはありませんでした。ただやるだけで満足したからです。でもいろいろあって考え方が変わって、技術を身につけることに憧れを抱くようになりました。そこでたまたま出会ったのがアイスホッケーでした。スケート経験も運動神経もなかったので新歓氷上では立つことすらままならず、新入生の中でも1、2を争うほど下手だったと思います。悪戦苦闘しているなか、大学始めの2年生の部員が氷の上を颯爽と駆け抜けていくのを見て驚きました。同じように勉強ばかりしてきた人たちが1年練習しただけでこんなにも差がつくものなのかと愕然としました。悔しさすら感じました。成長が目に見える形で現れて、かつ大学始めという同じスタートラインに立つライバルが多くいたアイスホッケーは、何でもいいから上手くなってみたいと思っていた自分にとってうってつけのスポーツでした。
入部してから、技術への憧れは執着に変わりました。ホッケーのことで頭がいっぱいだったし、ホッケーの上達こそが最も価値あることだと信じていました。自分が下手であることが怖くて、その恐怖をかき消すためにすべての時間とお金をホッケーに費やしました。キーパーになることが決まってからはそうした傾向がさらに強くなりました。1人しかいないというポジションの都合上、否が応でも先輩や他チームのキーパーと比較されるからです。プレーがうまくいかないと激しく焦ったし、「楽しいと思えているうちは上手くなれない」とさえ考えるようになりました。
こうしたホッケーへの向き合い方は2年生の終わりごろまで続きました。焦りを原動力にしたおかげで追い込み続けることができたため、同じ経験期間で自分より上手い人はいないだろうと思えるほどには自信がついていました。しかしながら、精神強度が限界を迎えました。常に焦りが楽しさを上回るようになったうえに、悪い出来事も重なったからです。次第にホッケーのことを考えないようになり、3年生の間は技術的にほとんど進歩しませんでした。
今思うと視野が狭すぎました。最初は熱意なんて自然と湧き続けるものだと思っていたけれど、実際それを保つのはとんでもなく難しいことでした。ホッケーを楽しもうとする姿勢を持ち、なりたい姿を明確にイメージしておくべきでした。もっと上手くなりたかった。入替戦で勝ちたかった。入部したての頃の自分と話がしたいです。無理ですが。

夢について。
上に書いたような経緯があって、3年生の秩父宮杯のあと少しホッケーから離れました。この期間は本当にメンタルが落ち着きました。もう20歳の大人なんだしこのままでいいんだとも思いましたが、次第になんだか無味乾燥というか、つまんないなと思うようになりました。うまくいかなくて焦って、泣いて、悔しくて頑張って、勝ったら喜んで、そうやって多感でいるのが好きでした。感情が安定しているというのが大人の条件だとすれば、自分は一生大人になりたくない。多くのプレイヤーにとって、ホッケーリンクとは子どものままでいさせてくれる場所だったのではないかと思います。
結局最後まで子どものままでした。4年間ホッケーに向き合うなかで、今まで抱いたことのないたkkkkkkkkkkkkっくさんの感情を抱きました。それに何の意味があるのかわからないけど、一生忘れることはないと思います。将来の夢は良い映画を作って社会に影響を与えることです。ホッケーのおかげで子どものままでいられたから、子どもみたいな夢が見つかりました。だからこの部に入ってよかったなと思います。

最後のほうは深夜テンションで書いたので、恥ずかしくなったら消してもらいます。それでは。