TR#157沼尾 侑茉
あけましておめでとうございます。
まず、私が4年間でお世話になりました先輩方、OB会費を払い続けてくださる歴代OBのみなさま、遠方からも試合にきてくださっていつも差し入れをしていただいた保護者のみなさま、本当にありがとうございました。
さて、私が氷上の追憶を書くにあたり始めに伝えておきたいことがあります。それは、関わらせていただいた部員のみなさんのお名前を出していきたいと思っているということです。
理由は、読んでくださる部員や関係者の名前が出てきたら、読んでいて面白いかなと思ったからです。(私は自分の名前が出ていたら嬉しいなと思ったので。)
でも、私が追憶を書いている中でたまたま出てくるくらいなので、名前がなくても落ち込まないでいただけると幸いです。
私が初めてアイスホッケーの試合を観たのは小学生のとき、友達のお父さんが地元のプロチームのキャプテンをしていて、その関係で観に行くことになったのがきっかけでした。
それから中学校にはアイスホッケー部があったので、友達といつも試合を観に行っていました。そのほか地元のプロチームの試合も観に行っていました。
でも高校生になってからは自分の学校や部活が忙しく、あまりアイスホッケーを観る機会はありませんでした。たまに試合に出る友達に呼ばれた時には行くこともありました。
そして大学生になる時にふと、“アイスホッケー部に入れるなら入りたいな”と思っていたところ、当時の先輩から声をかけられ部活に…と言いたいところなの≈ですが、はじめにTokyo Icehockey Channel(T I C)というアイスホッケーの中継団体の活動に参加することになりました。
そこで私の学年がひとつ上の、遠見さん室さん高瀬さんに出会い、TICの活動に行くたびに「マネージャーやるの!?」「入ってよ!」と言われるので、とりあえず新歓に行くことになりました。
イタトマで行われた新歓に行きました。門脇さんに大学名を何回も聞かれた記憶があります。
新歓のときは七彩さんと健城さんとずっとお話していました。上中がいた気がします。
その後、トレーナーの先輩である、智絵さん、ゆきさんと何度かお話させていただき、トレーナーとして入部することになりました。
当時は大学の寮に入っており、門限や外泊に制限があったためいろいろと面倒だったのにも関わらず、快く歓迎していただいたことには今も感謝しています。
しかし、入部2ヶ月もしない夏に私たちの活動は止まってしまいました。正直、その時に辞める選択肢もありました。まだ他のチームでやり直せる時期でした。“辞めようかな“と思っていた頃に同期から「1年生試合やるから観に来てよ」と誘われて同期のマネージャーである里佳と2人で夜中の遅い時間に神宮に行きました。
そこで久しぶりに同期が揃い、他愛もない会話をし、試合を観て、上達したみんなや優しくて面白いみんなと関わって、“やっぱりここにいたい”と思いました。
(写真:1年生夏合宿)
活動が再開し、春合宿に行きモチベーションが上がってきた頃、またもや部活が止まってしまいました。
正直、恵まれてないな、と思いました。そんな部停期間では、智絵さんがたくさんトレーナーのことを教えてくださいました。私のために時間を割いていただき、zoomで勉強会を何度もしました。
当時は、来年から智絵さんはいなくて、自分一人でトレーナーとして活動しなければならないということが、かなりのプレッシャーになっていました。
なぜなら、トレーナーの役割が選手の身体を扱うものであり、時には怪我等の発生時に大切な判断を委ねられることもあったからです。
そして、智絵さんが卒部しトレーナーは私一人になりました。その頃はマネージャーも里佳しかおらず、スタッフ2人でなんとか練習を成り立たせていました。三脚様様ですね。ビデオが見ずらかったのではないでしょうか。申し訳ない気持ちです。
その後は範子ちゃんとさやかちゃんが入部してくれて、なんとかなっていました。
いろいろありましたね。
3年生のときは、“トレーナーは自分しかいない”という責任感で部活に行っていました。
トレーナーの業務は向き不向きがある、それはわかっていました。でもいざトレーナーの新入生が1人も入らない、となると精神的にきついものがありました。
マネージャーが引き継ぎしている中、焦り。
練習前のマネージャーミーティングを横目に、寂しくなり。
白いベンチコートに囲まれ、1人ウィンブレを着てリンクを走り回っていました。
後輩がいない、正直結構きつかったです。笑
しかもそういうときって、怪我する人多いんですよね。
2021年の七帝戦。
1日目がオフィシャルだったので、残り6日間は毎日試合。そして毎日けが人。毎氷上後、氷を5.6個作っていました。しかも仙台のリンク、スコップないんですよ。素手で雪掴んでました。手は真っ赤。
アイスホッケーって靴で足首が固定されているので、捻挫しないんですよ、ふつう。なのに、七帝戦で澤田さんと竹本が捻挫しました。
あとは遠見さんの目にスティック刺さったとか、室さんがパック顔に当たったとか、もうそんなのばっかりで。
しかも、試合中怪我した人ってなぜか怒ってるじゃないですか。
室さんは怪我したあとスティックぶん投げるから私に当たるし、怖かったですね!
ホテルに帰ってきたらアイシングのためにフロントと部屋を行ったり来たり。
夜になったら湿布祭り。
試合前にテーピング祭り。
体調不良者の病院付き添い。
途中から来た同室のさやかちゃんに「ゆまさん、疲れてますか?」って言われたくらい顔に疲れが出ていたみたいです。笑
そんな1週間を乗り越えて、東京に帰って筑波と試合して…。
そしたらいつの間にか京都にいて、4年生が引退。
“頑張ったな“ そう思える12月でした。
4年生になった夏、3年ぶりに釧路合宿がありました。
合宿は怪我人のオンパレードです。
靴擦れが一番多かったですね。
でも手首、腰、膝、肩、みんないろんなところを痛めてました。
テーピングしたり、時には病院に行ったり、薬飲みなさいってお母さんみたいなこと言ったりしてました。
すごく大変だったけど、1年生ぶりの夏合宿は楽しかったです。
2年生がたくさん盛り上げてくれました。
本当に頑張って良かったです。
そして、秋大会。
3年前に遠藤さんの代が立ててくださった「Div.Ⅰ-B昇格」を叶えるために、Div.Ⅱ優勝を果たし入替戦の舞台に立つことが出来ました。
結果は惜しくも負けてしまいましたが、東大アイスホッケー部としては64年振りの二部優勝とのことで、入替戦には東大関係者だけでも100人以上の方が来てくださいました。
そんな素敵な舞台に連れてきてくれたみんなには本当に感謝の気持ちでいっぱいで、とても幸せでした。
2022年の七帝戦。
入替戦が終わって一息つく間もなく双青戦が行われ、続けて七帝戦が始まりました。
今回はインカレに出場するチームが多いという関係で、双青戦のあとに七帝戦が行われました。
どちらも東京開催という珍しい年になり、運営が大変でした。しかし、主務の中村が本当によく頑張ってくれました。東京では同時期に国体予選が行われており、日中のリンク予約ができず、深夜枠での試合となってしまったり、イレギュラーでの試合日程を決めるのが大変になったり、本当に本当に大変だったと思います。
スケジュールとしては12/7に双青戦があり、翌日に双青戦の新人戦があり、12/9から12/15まで七帝戦でした。(今見てもすごいスケジュールですね)
12/14は東大は休みの予定でしたが、急遽7校の下級生を集めた試合がありました。上級生の誰か行った方がいいなと思ってはいたけど、疲弊しているプレーヤーを行かせるのも忍びなくて1人で行こうとしたらビジター帰りの太陽が一緒に来てくれました。
ちょっとしたトラブルがあったり、下級生の試合を観られたりしたので体力はきつかったけど行って良かったです。
そして無事に大会を終えることができました。主催校だからと毎日シフト制で運営業務をしてくれた1年生、本当にありがとう。彼らがいなければ他のプレーヤーは試合であんなに活躍できなかったと思います。試合に出ていなくてもベンチに入っていなくても、全員で勝ち取った優勝だと思います。
おかげさまで2年間トレーナー最上級生として活動することができました。4年生の7月には1年生トレーナーとして稀美子ちゃん和ちゃんが入部し、トレーナー業務はとても楽になりました。
今まで一人で行っていた仕事を3人で分担することができ、どれだけ大変だったのか実感することになりました。
この2人は本当に優秀で、やる気やモチベーションも高くて、私が何も言わなくても練習や試合前には必ず氷は作ってあるし、怪我人が居ればコールドスプレーと氷を持ってきてくれるし、足りなくなった備品はいつの間にか揃えてくれるし、本当に本当に助かりました。
そしてすごく可愛い後輩でした。一緒に写真を撮る時は必ず私を真ん中にして、2人ともくっ付いてくれます。部活前に私と会うと笑顔で「ゆまさん!お疲れ様です!」と近づいてきてくれました。こんなに可愛い後輩ともう一緒に部活ができないと思うと本当に寂しく、涙が零れそうになります。
私の引退が近付くと毎試合後に今にも泣きそうな2人でした。その様子を見て、私は引退を改めて意識し始め、私も泣いてしまいそうでした。でも、私が泣いてしまったらもっと泣かせてしまうと思い、なんとか堪えることができました。
2人はとても勉強熱心で頑張り屋さんなので、率先してテーピングや応急処置を手伝ってくれて、すぐに1人でできるようになりました。
ただ、今まで「ゆまさーん、○○が痛い」って言ってきてた人が減っていくんです。トレーナー増えたから。それはちょっと寂しかったな。やっぱり頼ってもらえることは嬉しいものなのだと改めて気づくことができました。
だけど、「ゆまさん、来年も合宿来るでしょ」って言ってきた2年生たち。可愛いし、それは嬉しかったです。(行かないけど。)
しかし、楽になっただけではいかないのがラストイヤーでした。残りの半年もない中で私のトレーナー人生の全てを引き継がなければなりませんでした。
そのためには夏合宿は短すぎました。夏合宿が終わったあともたくさんのことを1年生に教えなければなりませんでした。私は智絵さんから2年かけて引き継いでもらって、1年は自分で試行錯誤してやっと4年生になりました。
でも、稀美子ちゃん和ちゃん2人は2年目から最上級生トレーナーとして活動しなければならないのです。そうなってしまったことに申し訳なさはありますが、せっかくトレーナーを選んで、この部に入ってくれた以上は後悔しない部活動人生を送ってほしいと思っています。(これは他の後輩たちも)
だから、彼女たちが胸を張ってトレーナーとして活動できるくらいには知識を伝えようと努力しました。でもやっぱりプレッシャーはあると思います。他の後輩たちにはそんなプレッシャーの中トレーナーとして活動する2人を暖かく見守って欲しいと思います。
そして時には助けてほしいとも思います。彼女たちの判断に寄り添ってほしいです。怪我をした選手、とくに先輩にあたる3年生以上を止めるのはとても勇気が必要です。それでも「今は休むべき」と言われたら、少し耳を貸してください。先輩に対してそれを言うのはすごくすごく勇気がいります。私もそうでした。
それでも、休むべきというのはそれなりの理由があります。今後の選手生命を大きく左右するかもしれません。
彼女たちの言うことを聞いて欲しい、というよりはたくさん話をしてほしいです。
プレーヤーが怪我をした時や怪我が悪化してしまった時、私はいつも後悔や反省をしていました。『あの時しっかり止めておくべきだった』とか『こんな時はこんな準備が必要だった』とか。
“防げる怪我は絶対に防ぎたい“ 常にそう思って活動していました。だからきっと『うるさいなあ』と思ったことがある人もいるのではないでしょうか。でも私はみんなのことが嫌いだからとか意地悪がしたいとかではなく、みんなが怪我をして嫌な思いや辛い思いをしてほしくないからたくさん心配して、「少し休んだほうがいいよ」と伝えていました。
怪我をした瞬間や怪我で練習を見学している時が一番辛いときだとわかっているからこそ、そんなプレーヤーがいる時はいつもなるべく近くで話をしたり、聞いたりしていました。それが役に立っていたのなら嬉しいし、私が決意で書いたことは達成できたような気がします。
ここからは私が部活で学んだこと、そして後輩に伝えたいことを書きたいと思います。
私は大学の卒業論文の題材を
「チームスタッフがスポーツプレーヤーに与える影響
〜アイスホッケーチームにおけるスポーツトレーナーの存在意義〜」にしました。
私のゼミのスローガンが「好きこそ物の上手なれ」だったので、研究内容は自由でした。
私の大学生活はほぼホッケー部に捧げていて、私の好きなものはホッケーでしたから、自然とそれ以外思いつきませんでした。
この卒論の”終わりに”を書けなくて悩んでいたら、ゼミの先生に「あなたが4年間活動して感じたことを書きなさい」と言われました。そこに私は部活で学んだこと、感じたことをありのままに書きました。さすがに全てここに書くのは恥ずかしいので、少し抜粋したいと思います。
人に期待しないこと。
私たちはアイスホッケーが好き、アイスホッケーがやりたい、その共通点だけで集まった者たちです。それ以下でもそれ以上でもないので、もちろんみんなと仲良くするのなんて難しいと思います。
だから、部活が円滑にできればそれ以上のことはないです。
もし、その集まりの中で相性のいい人がいたならば、大切にしてほしいと思います。
逆に相性の悪い人がいても、『こんなやつもいるか』くらいに思って、あまり気にしない方が楽しくやっていけると思います。
私はこの部活を通して、部員以外も含め様々な人に出会いました。『この人とは合わないな』と思ったことももちろんあります。でも、それは今まで自分の周りにいなかった人なだけで世の中いろんな人がいるのだと知ることができました。そして、自分の性格や思考を理解することにもつながりました。
次に、思ったことは伝えるということ。そのためにコミュニケーションをとる。これは遠見さんや門脇さんも言っていたことですね。
先程書きましたが、そんなアイスホッケー大好きな人達の集まりでは、伝える努力をしなければ自分の思いはなにも伝わりません。
仲のいいカップルだって意思疎通しないから喧嘩するのです。
赤の他人なのだから、『こうしたい』とか『なぜ?』と思うことがあるなら全て伝えるべきです。でも、そのためには普段からコミュニケーションをとっておかなければなりません。いきなり自分の意見だけ言える人なんていませんよね。
そうやってコミュニケーションをとることで部活がより良くなっていくし、ストレスを抱えることなく部活ができると思います。
私の性格上、思ったことを伝えるのが得意であったため伝えることは多かったのですが、“何も考えずに言い過ぎてしまうのは良くないなあ“、”言い方も考えなければいけないな“と少し後悔することもありました。もし伝えるのが得意な人は、そこに気をつけてもらえたらいいかなと思います。
そして、精神的に病まないために『まぁいっか。』を覚えるということ。
深夜に活動していると必然的に夜型人間になります。そうすると自律神経が乱れるので、ストレスが溜まりやすくなります。そんな人たちが集まっているのだから、何も衝突しない方がすごいと思います。
だから、たとえ少しイラッとしても、一旦『まあいっか。』って思ってみませんか?
昼間になってからよーーく考えてみると、本当に『まあいっか。』って思えることが多いです。私はこれでストレスを溜めずに過ごせるようになりました。まあ本当に納得いかないこともあると思いますが、その時は我慢せずに伝えましょう。
私が特に後輩に伝えたいと思ったのはこれくらいなので、あとは他の同期にも聞いてみてください。みんな後輩はかわいいと思っているので、喜んで何でも話してくれると思います。ぜひ後悔のない部活動人生を送ってください。
ここまで書いて思い出したのですが、私は背番号の理由を追憶に書かなければなりません。
4年間みんなには内緒にしてきました。
入部してすぐの合宿で当てた大囿さんという優秀な主将とか、一部の人を除いてみんな知らないので。
読むのが面倒くさいという人がいると思うので(ここまで読んでいるのに?)、先に結論から言うと、私の背番号は同期の背番号を足した数です。
これだけでピンときた人はこの先読まなくてもいいかもしれません。私のことが好きな人は読んであげてください。笑
私が背番号を決めた時の話です。
3桁の数字なんて全然ピンとくるものがありませんでした。
全然決まらなくて、莉瑚さんにはご迷惑おかけしました。
気が付くと、同期はみんな決まっていました。しかも唯一のスタッフ同期の里佳はどうやって決めたか、当時は教えてくれませんでした。
その時の同期、
岸本 #1
並木 #8
上中 #11
松井 #16
中川 #24
大森 #43
藤田 #99
里佳 #852
もうみんなこと大好きだったので、とりあえず足してみました。
1054…これでいいじゃんって思いました。
数学的な人には怒られちゃうかもしれませんが、0はあってもなくても一緒じゃない?って思ったので、0をなくして、私の背番号は #154 になりました。
しかし下半期、小池海人が入部して3増えちゃったんですよ。“同期が好きだから決めたのに一人いないのもな〜“って思いながらとりあえず1年過ごして、3年生になる時に「背番号変えたい時どうしたらいいですか」聞いてみたら、「勝手に変えていいよ」って言われました。
“あ、そうなんだ“って思って、さらっと #157 にしました。
なんで変えたのって言われるし、バレるかなーって思ってましたが、小池が入部してからしばらく経っていたので3増えてもバレませんでした。そこまで私の背番号に興味もなかったのかもしれませんね。
いかがでしたでしょうか。「しょうもな」って思ってくれても大丈夫です。
いろいろあったけど、今でも同期のことは大好きです。
みんなちょっと変だけど、そこが見ていて、一緒にいて楽しくて面白いです。
GKという大切なポジションにいながら気分の浮き沈み激しくてメンヘラだった岸本も、
デカいしベンチではキレてるのに実は繊細で優しい小池も、
いつもは静かだしまともそうな感じ出してるのにぶっ飛んだこと言い出す並木も、
車の運転がいつも怖くて話しかけないと話してくれないけど実はよく話を聞いてくれる上中も、
一番まともだと思ってたのに全然そんなことなかったけど主将はしっかりこなした松井も、
普段はなぜか冷たいけど根は優しくてパック持ったらビビっちゃう中川も、
力強いスケートでイケメンでホッケー上手くてかっこいいのになぜか彼女ができない大森も、
熱い男と言われていて部内で幅をきかせ泣く子も黙らせる藤田も、
そして、真面目で仕事をしっかりこなすけど結婚とお笑いの話ばっかりする酒豪の里佳も、みんな大好きです。
こんなに素敵な同期に出会えて、1人も欠けることなく一緒に活動することができて本当に幸せです。
(写真:最後の練習…序盤にある1年生の写真と是非比べてください笑)
末筆ではございますが、いつもかっこいい背中を見せてくださった先輩方、生意気だけどかわいいそして頼もしい後輩たち、試合に来ていただいた檀野監督をはじめコーチの皆様、いつも応援に来ていただいた保護者のみなさま、忘れ物をしたプレーヤーに防具を貸してくださったり応援してくださったりしたスケートリンクのスタッフの方々、いつも応援してくれた大切な友人、本当にありがとうございました。
これからは1人のO Gとして東大アイスホッケー部を心から応援していきたいと思います。
そして後輩たち、強者であれ!