【氷上の追憶2022 VOL.1】並木 晴人

経済学部/聖光学院

FW#8 並木 晴人

『この部活に捧げた4年間の帳尻合わせだったり意味付けだったりは引退後にすることです。プレーヤーである以上、やはり自分の価値はプレーで示さなければいけないし、脇役で満足してはいけない。』まずは、今年のはじめにそう啖呵を切った「決意」の決算から簡単に始めたい。
「3冠達成のために自分のやりたいプレーでチームに貢献する」「年間10ゴール」
これが最上級学年、そしてラストイヤーとして迎えた今年の自分の決意だった。結果としては、春の秩父宮杯2連覇、秋のリーグ戦2部リーグにて64年ぶりの優勝と入れ替え戦進出、そして七帝戦での2連覇と見事3冠を達成。個人のstutsは年間5ゴール10アシスト。こっちは四捨五入したら10ゴールってことで許してください()。

 

ここからは改めてこの4年間を振り返り、帳尻合わせをしようと思う。具体的に命題を言うなら「アイスホッケーに捧げたこの4年間に意味はあったのか」である。

 

1年生。なんとなく楽しいという直感と深夜の時間帯の麻薬的興奮によってこれだと入部を宣言した。大学はじめのプレーヤーがたくさんいるという誘い文句で始めた割に自分の同期プレーヤーで大学から始めたのは4人だけだった。深夜の時間帯の練習も聞いていたよりきついし、新歓は嘘に塗れていた。それでもホッケーが楽しいということはどうやら本当だったらしく、氷に乗るたびに上手くなっていくのを実感して(それこそ小学生の頃ホッケーをしていたという同期の上中にも手が届きそうな感覚もあったくらいに)、そしてその成長している感覚は凄く気持ちのいいものだった。遠藤さん、れいさん、安東さんにはたくさん面倒を見て頂き、自分もその憧れの3人に早く近づきたかった。
夏合宿中に起きた先輩たちの不祥事により半年間の部停期間があったが、部活がない世界線の大学生らしいゆとりのある生活も謳歌できそれはそれで満足していた。

 

 

2年生。遠藤さんたちは僕らの代で1部昇格を果たすという夢を語り始めた。僕はメルヘンチックなところがあるので、こういう夢物語は大好きだ。かすかな興奮を覚えながら半年ぶりに練習が再開した。そして上級生と同じメニューに参加するようになって初めて、驚くくらいに自分がホッケーが下手なことに気づいた。仕方ない。まだ半年しかやっていないのだ。気を取り直してまた頑張ろうと思った矢先、コロナが広まり始めまた部活動は停止した。そして半年位経ち部が再開するとすぐに秋大会が始まった。昨年確かに背中を捉えていた上中が試合で活躍し始める中、自分はあまりに無力だった。自分の出場機会を減らしてまでまだまだひよっ子の自分や藤田、中川に試合の経験を積ませてくれた当時の4年生には頭が上がらない。秋の3部リーグと双青戦を全勝し『いっぺんの悔い無し』と言い残して引退した遠藤さんはもはや伝説となった。こうしてまた年が明けた。

 

3年生。不祥事やらコロナやらで中々大会に参加できなかったこともありあまり理解していなかったが、松井や小池、大森ら頼れる同期の経験者は本当に上手かったらしく、春の秩父宮杯では創部以来初の優勝を果たした。強いチーム。そこに自分はいてもいなくてもチームは勝つ。正直面白くはない。そして大会が終わる頃、上中が休部を宣言し、程なくして中川と岸本も部を辞めると言い出した。特に中川はきっと僕と同じように複雑な思いを抱えていたのだろう。泣きながら思いを語る中川を同期で必死に引き留めようとした。『あともう少し頑張れば絶対活躍できるようになる。』部に残るよう中川に説得しているようで、必死に自分に言い聞かせていたようにも思える。経験者がたくさんいる自分たちの代とは対称的に、大学はじめの未経験プレーヤーしかいなかった1個上の遠見さんたちの代も苦しかったと思う。部の運営にしても後輩たちがこんなに上手いやつばかりだったら言いたいこともはっきり言いにくいに決まっている。だが、それは別に松井や中村や竹本ら上手い経験者の後輩が悪いわけでは決してない。彼らは必死に目の前の勝利に貪欲にプレーしているだけで、何ならチームに1番貢献しているのだ。このどうしようもない状況は誰のせいでもなく、岸本の表現を借りるなら「構造」のせいであった。そして当時のギスギスした部の雰囲気が大嫌いで自分はすべての雑音に耳を塞いでホッケーをした。それでも必死にどうにかしようと藻掻いている先輩たちを支えられなかったことは今でも悔いが残る。
秋のリーグ戦はたくさん出場したが、要所要所で経験者で固めたりするのを見ると、それは与えられたものだと思い知らされて正直やってらんねえと思った。印象的だったのは自チームではなく、上智に勝利し涙する一橋の当時の4年生たち。他のチームのことだし詳しい経緯とかは分からない。ただ大学はじめのプレーヤー中心だった彼らが上智に勝つにはきっと相当な努力や葛藤があったのだろう。それを乗り越えた先にある涙が当時の自分には無性に羨ましかった。
七帝戦の天王山となった北大戦の帰り道、勝利に湧くチームメイトを尻目に僕と藤田はリンクから宿舎までバスに乗らずにひっそり語り歩いて帰った。どうやったら上手くなれるか。ひたすらその話をしていた。その結果、藁にもすがる思いで二人でスピードスケートの競技者を訪ねに千葉まで行ったりもした。それが上手くなる方法として正しいかは分からなかったが、その時僕らは直感的に気付いていた。僕ら大学はじめの未経験プレーヤーが、東大史上最強のチームの中で『いっぺんの悔い無し』と言って引退するには、いつまでも受け身で「構造」がどうこう言ってるだけじゃあ駄目で、それをぶち壊さないといけない。そしてその「構造」をぶち壊す唯一の方法は大学はじめの自分が上手くなることだけなのだ。また年が明けた。

 

あっという間に4年生。年初のミーティングで檀野監督は経験者も未経験者もないと言ってくれた。君たちももうホッケー歴4年目だと。あまりにもタイミングのいいその言葉に勇気づけられた。とはいえ、思いばかり先行して中々実力がついてこなかった。この頃は丁度、部活以外でも忙しさが増し、体力的にも精神的にも一杯一杯の時期だった。このまま大した活躍もなく漫然と部活人生終わるかもななんて情けないことも少し思ったりもした。そんなことを思っていた春、運良く立教大学と試合をする機会があり、勝った。その日、1部昇格という夢が現実的な目標に変わった。そして、昇格するその瞬間、そのときだけはどうしても氷の上に立っていたかった。本当の意味でチームの一員でいたかった。
オフの1ヶ月間、東京にいる間はずっとホッケーのことを考えていた。なんなら旅行中も頭の片隅にはホッケーがあった。チームメイトが寝ている間、僕はビジターでホッケーをした。オフ明けの合宿では少しの手応えを得ることができた。秋大会では年初に決意に記したほどの大活躍とは程遠いかもしれないが、自分なりに仕事はしっかり果たせたし、天王山となった筑波戦では先制ゴールを決めることもできた。そしてチームは竹本の劇的な逆転ゴールで上智に勝ち優勝を決めた。恋い焦がれた1部昇格をかけた入れ替え戦への切符を手にした。
こうして迎えた入れ替え戦の舞台だったが、それはあまりにも呆気ない幕切れだった。完敗。この日のために半年間、いや4年間頑張ってきたつもりだったが、勝ちに貢献するどころか足を引っ張ってさえいた。その夜、久しぶりに酒に飲まれ下衆な話を肴に盛り上がった。そして酔いから醒めたときに、4年間で1番大切な試合で負けたという現実は変わらずずっしりと目の前にいた。この試合で勝って嬉し泣きしてみたかったな。いっぺんの大きな悔いが残った。
それでもホッケー人生はあと1ヶ月残っていた。七帝戦とインカレ。正直もう燃え尽きていた。それでも残り少なくなった「日常」を噛みしめるように過ごした。最後の関大戦は4年間で1番タフな試合で結果もボコボコにされたが、それでも大学から始めてまだ4年でこんな上手い人たちと最後に戦える機会をもらえて、自分は本当に恵まれているなと思った。こうしてまた年が明けた。もう「次」はない。

 

つらつら書いていたらすごい巻物になってしまいました。纏まっておらずダラダラとすいません。今回の命題に戻ろう。今までを振り返ってみた結論として、僕はこう思った。この4年間に意味を見出すのは間違っている。

得られたものはたくさんあるかもしれない。仲間。ドキドキ感。成長経験。体育会系というレッテル。だが、仮に4年前にタイムスリップしてそれらを得られるよと言われても、恐らく僕はアイスホッケー部には入らない。仲間が欲しければサークルの方が楽だし、ドキドキ感が欲しいならパチンコ・競馬に行けばいい。成長したいならもっと将来に役立ちそうなことで経験を積んだほうが得だし、「留学」とか「起業」とか社会的には上位互換なレッテルはたくさんある。もっと直接的な話をすれば、いくら速く滑れるようになっても、いくら精度の高いシュートを打てるようになっても、これからの人生において1ミリも役に立たない。要は何を得られるかをもとに考えると、アイスホッケー部は全くもって合理的ではないのだ。そしてその事実は引退するずっと前から気づいていた。みんなも薄々勘づいていたのではないだろうか。
それでもホッケーを続けていたのは、仲間とホッケーをするのがただただ楽しかったから。最初から最後まで、それ以上でもそれ以下でもない。それだけ?そう、ただそれだけ。
世の中は生産性の時代である。内定先の先輩とかからはよく『自己実現のためにはキャリアビジョンを持ちそこから逆算して〜』というような話を聞く。皆未来の何某に役立つだろうと思って何かをやっている。そんな社会を横目に僕らは今を生きていた。何の意味もないアイスホッケーを仲間とやるのが楽しいという、ただそれだけの理由でやってきたのだ。思わないだろうか。なんて無意味な時間なんだって。そんでもってなんて純粋で贅沢な時間の使い方なんだって。

きっと僕もようやく社会の一員になる。仕事のために、夢のために、家族のために。何かリターンを期待して行動するはずだ。ただ楽しいという理由で何かをすることは確実に減る。何なら人生で最後だったかもしれない。だからこそ、思うのだ。このアイスホッケーに捧げた4年間は無意味で、それでいて最高に贅沢な時間だった。僕らは確かに今を生きていた。

この贅沢な時間を支えてくださったOBの方々には本当に頭が上がらない。色々思うところは今でもあるが、両親のサポートもなくては4年間続けられなかっただろう。ありがとうございました。

ホッケーの世界に僕を連れてきて下さった大囿さんたちの代、夢と憧れを与えて下さった遠藤さんたちの代、最上級生として未経験プレーヤーとしての生き様を背中で示して下さった遠見さんたちの代。素敵な先輩方にも感謝を伝えたい。

そして後輩のみんな。君たちの活躍のおかげで、ホッケーを始めて4年では他の人は到底見れないような景色をたくさん見させてもらった。来年は大変だと思うが、みんなで中村と松本を支えてやって欲しい。そして大学から始めた人たちはこれから悩むこともたくさんあると思う。僕や中川や藤田が「構造」を壊せたかは分からないが、それでも少しでも希望を、頑張る理由を与えられたならこれ以上ないくらい嬉しいし、軽く僕らを超えるっていう気概で頑張って欲しい。そして僕らが達成できなかった1部昇格の夢を全員で叶えてほしい。

 

これを書くと死ぬまで弄られそうだが、やっぱり最後にこの贅沢な4年間を一緒に過ごしてきた仲間には感謝を述べたい。

ばりか、ゆま
2人もたくさん悩んだ4年間だったと思う。それでも献身的に部を支え続けてくれた。氷には乗ってなくとも、2人はまさしくアイスマンだった。

小池、大森
たくさん褒めてくれてありがとう。君らが思ってる以上にそれが僕がホッケーを頑張ろうっていう心の支えだった。

上中
ホッケーを始めたときの最初の目標だった。そんでもって最後まで勝手にライバル意識を持っていた。お前さんが前を走り続けてくれたからここまでやれた。

岸本
GKとして自分は早くから活躍していたのに、それでもちゃんと後ろを振り返って、必死に藻掻いてる僕や中川、藤田、下級生のことを常に気にかけてくれる優しいやつだった。

中川、藤田
お前ら2人は戦友というか、やっぱり特別だった。最後まで一緒にやれて本当によかった。

松井
お前についていって正解だった。

 

以上。4年間の帳尻合った気がします。またどこかで。