【氷上の追憶2021 VOL.5】泉山 玲司

教育学部/駒場東邦
DF #80 泉山 玲司

追憶を書くにあたって、まずは謝辞から書かせていただきます。僕の部活人生は、たくさんの感謝と謝罪をしなければ成り立つものではなかったからです。
まずは、読んでるか知りませんが、僕の家族の両親、姉。応援に来てくれたり、送迎してくれたり、ご飯などのサポートをしてくれてありがとうございました。おかげで部活を最後まで続けることができました。夜遅くに帰宅したり、リビングで寝たり、臭い防具を放置したりと、たくさん迷惑もかけました。そこはごめんなさい。
次に、ホッケー・大学・部活関係者や、合宿などでお世話になった皆さま。たくさんいらっしゃるのでまとめてにはなりますが、皆さまのおかげで、不自由なく部活動ができました。ありがとうございました。これからの人生で、なにかしらの恩返しをしていければなと思います。
最後に、部活動のOB・OG、現役部員の皆さん。OB・OGにつきましては、ご支援、ご声援のほど、ありがとうございました。皆さまのおかげで、今日の部活があります。直接の恩返しにはなりませんが、これからは僕もOBの1人として、現役部員たちに還元していこうと思います。同期と、現役部員の後輩たち、一緒に部活してくれてありがとう。思うところもあるかもしれないけれど、僕はみんなと部活できて本当に良かったと思っています。今までありがとう。また、2つ上から1つ下の代までの皆さんには、多大なご迷惑をおかけしました。本当にすみませんでした。僕が部活動を続けられているのは、大囿さんを中心とした2個上の皆さんの、優しさと強さのおかげに他なりません。本当にありがとうございました。
短くなりましたが、謝辞は以上となります。重ねてにはなりますが、今まで本当にありがとうございました。非才の身ではございますが、これから、なにかしらの形で恩返しできればと思います。

皆さんに読んで欲しい部分である謝辞が済んだので、ここからは好き勝手に書こうと思います。昨年書いた決意が意外にも好評だったので、そっちを読んだ方は、追憶にも期待が高まっているかもしれませんが、多分これから書く部分は、決意よりもダラダラと長く、さらにみっともない、生産性のカケラもない文章になると思うので、飽きたら途中で読むのをやめてください(笑)。それでは、泉山はどんな部活生活を送ったのか、泉山とはそもそも何者なのか、本当に今年の泉山はガチだったのか、泉山の部活人生を振り返っていきましょう。はじめに、僕が1年生の頃のチーム写真〜京大を添えて〜を載せておきます。

部活動を振り返るにあたって、まずは泉山玲司という人物について考えていきたいと思います。皆さんは、僕をどれくらい知っているでしょうか。僕は割と「特徴」が多い人間だと思います。特徴は、長所・短所をひっくるめて、特徴です。例えば、「おじさんのような見た目」は、就活市場では「きみ、ホントに新卒?面白いね」「どっしり感あって安心できる見た目だなぁ」「その見た目でディズニー好きは反則でしょ笑笑」と、長所として捉えられることが多かったですが、一方で、恋愛市場では「そういう目では見られないなぁ」「並んで歩いたらパパ活じゃん笑」「あー私は普通にカッコいい人が好きだから笑」と、短所として働くことが多かったように、ある「特徴」がよく捉えられれば長所、悪く捉えられれば短所になると考えているので、ひっくるめて、特徴です。僕の特徴はなんでしょう。

細かいのを挙げていくとたくさんありそうですが、自認している特徴で1番大きいのは、「鬼のように自己肯定感が低い」ということです。場によってキャラがブレブレなので、もしかしたら意外に感じる人もいるかもしれませんが、自己肯定感、めちゃくちゃ低いです。どれだけ頑張っても、自分を認めることができません。どれだけ周囲から高く評価されても、自分だけは自分を評価できません。いつからなのかはわかりません。思えば、小さい頃から駄々をこねられない子供でした。欲しいオモチャがあっても、自分がそれを主張する権利は無いと思い、口にはしませんでした。なぜなのかもよくわかりません。意外と、最初に書いた「おじさんのような見た目」のせいかもしれません。イケメン、美女の皆さんや、人並みの見た目を持つ皆さんにはわかりにくいことかもしれませんが、見た目でビハインドを取っているという感覚は、常につきまとうものなのです。友人に「ブサ男部・副部長」と称されたり、姉に「僕ってブサイクかな?」と聞いたら「うーん、許せるブス?」と答えられたりした経験が、僕の自己肯定感を下げているのかもしれません。もちろん挙げた例は冗談ですが、とにかく自分が好きになれないです。東大に合格したり、会社の内定を勝ち取ったり、ホッケーでいいプレーができたりすれば誇らしくはなりますが、それは、自己肯定感の向上には繋がりません。
結果、どうなるか。まずは、承認欲求のバケモノになりました。自分で自分を評価できないので、相手からの評価に依存する人間になりました。今夜の宴会が楽しかったかは、「自分が楽しんだか」ではなく、「場をどれだけ盛り上げたか」で評価する人間になりました。初めて彼女と呼べる存在ができた時、自分を認めてくれる人がいるのが嬉しすぎて、相手に依存してメンヘラになってすぐにフラれました。あれは、いまだにとても申し訳ないことをしたと思っています。
次に、自分のための努力ができない人間になりました。人にレポートを頼まれたときは、図書館に繰り出し、徹夜して、最高のものを書き上げるのに、自分のレポートはどうもやる気が起きず、結局、単位を落としまくりました。自分のためにオシャレや身だしなみを整えることに全く興味がわかず、友達とアウトレットに行った時は、行き帰りの運転だけして、現地に着いたら車で寝てました。
相手のために尽くす人、と言えば聞こえはいいですが、結局、他者に依存した自我のない人間です。相手の望む自分になろうとするので、キャラはブレブレだけれど、色々な人と上手くいくことが多いです。やはり、長所と短所は紙一重ですね。
この特徴は、僕の部活人生に大きな影響を与えています。
まず入部前。色々な部活やサークルがあって、20個くらいの体験会に行きましたが、結局いちばん「求められている」と感じたアイスホッケー部に入部しました。伊与久さんに熱心に勧誘されたのが決め手です(笑)。
入部後は、竹村さんの方針や部活の風潮として、自分で求めて考える文化の中で成長しましたが、これがどうしようもなく苦手でした。自分のために努力することができないからです。一応、自己弁護をしておきますと、社会で使えない「指示待ち人間」というわけではないのです。「ここをこうしてくれ」と最初に言われたら、そこから考えて、計画して、仲間と協力したりして実行する能力はある方だと思います。でも、初動の動機がない。特に、自分のために動こうとは思えない。4年でホッケーに真剣に向き合ったのも、「いよいよ試合に出るから、僕の戦力アップがチームのためになる」と思えたからだと思います。同時に、部活と同じくらいの時間を捧げていた東進ハイスクールのバイトでは、当時、人手不足や、国公立文系、特に東大担当の人材として、僕が強く求められているという認識があり、そっちに気持ちもエネルギーも割かれていました。結果、1年生の終わりには、同期よりも致命的にスケート、ホッケーが下手くそになっていました。
2年生になり、上級生と混ざるようになってからは、自己肯定感の低さがどんどん深まりました。全くついていけていない現状が浮き彫りになり、人数の問題もあって、同期DFの門脇と稲垣は試合に出たり、ベンチ入りしたりするのに、僕だけ着替えずに観客席、ということも増えました。春大会では「サブの門脇のサブ」という立場でベンチに入り、試合前のアナウンスでは名前を呼ばれなかったのを覚えています。箕村さんが毎回心配してくれて、次は出せるようにする!というようなLINEを送ってくれたのは、嬉しかった反面、気を遣わせてとても申し訳ない気持ちになっていました。悪いのは、努力してこなかった自分なのに。門脇や稲垣が、灘さんとか安東さんに自分から一緒にビデミして欲しいって言いにいくのがすごいと思ってました。僕は、自分の情けないプレーを見せるのが恥ずかしい、とか、先輩の時間を奪うのが申し訳ない、とかいろんな言い訳が先に来て、結局、自分のために頑張れない現状は変われないまま、どんどん下手くそになっていきました。夏合宿では、プレー外では活躍できると思い、いろいろ空回りして、そのまま部活停止になりました。
部活停止期間は、ほぼ東進と授業に使いました。下手くそになってしまった現状では、ビジターに行くのも恥ずかしく、1人で行くのが怖くて、人に誘われるまで行けませんでした。自分のために頑張れない、下手くそで怖くて行けない、なんて情けない理由は言えなかったので、「ホッケーが嫌いだから」って言うようにしてました。言葉にしてると、自分が本当にこのスポーツ嫌いなんじゃないかと思い、本当に好きでやってるのかわからなくなってきました。ここでまた、室や門脇といった同期は上手くなっていって、僕の自己肯定感は下がっていきました。
3年生になって、後輩が一緒の練習に入ってきました。春合宿では、レベル別ステーションが導入され、未経験の2年と僕だけが1番下のグループでした。なんだかホッとするような感情と、恥に近い悔しい気持ちが、この辺りから芽生えたような気がします。同期より遅れてるのはわかってたけど、客観的にそれを突きつけられるのはとてもしんどかったです。上のグループではレベルの高いことが行われ、同期の背中がさらに遠くなってしまう、という焦りもありましたが、それで頑張ろうとなるほど前向きな考え方はできませんでした。この合宿では車が壊れました。バイバイエッセ。こんにちは、ラパン。
コロナで部活が止まった時は、正直あまりガッカリもしませんでした。おうち時間でのんびりして、適当に授業に出る日々も悪くはなかったです。今思うと、社会人になってからなかなか取れない、家族と過ごす時間でもあったので、ある意味ではプラスとも思ってました。
コロナが明けて、秋大会が来ました。ここからは決意にも書きましたが、ひたすらに悔しい思いをしました。なぜ部活にいるんだろう、自分のいる意味はなんだろう。試合に出られない日々で、自分のために努力できない僕は、自分の存在価値を見失っていました。そのままシーズンが終わり、先輩が引退して、決意を書かなきゃいけなかったので、その思いを書き、4年では頑張るか、と少し意気込みました。
さて、そしていよいよ4年生。僕は頑張れたんでょうか。途中に書きましたが、ホッケーには今までで1番真剣に向き合ったと思います。ビジターにも行ったし、ビデミもしたし、実際、今までのどの1年間よりも上手くなった気がします。でも、致命的に蓄積が足りなかった。どれだけ動き方を考えても、技術が足りない。余裕がなくて、思い通りのプレーができない。3年間でついた変なクセが直らない。どの年よりも成長してるのに、どの年よりも悔しかったです。
春大会中は、試合に出たり出なかったりする日々に、しんどい思いをしていました。試合に出られないのは、自分のために努力をしてこなかった、その結果だと割り切っていたつもりだったので、自分でも意外なほどのダメージを受けていました。当時つけていた日記があるので、それをいくつか引用してみます。

「上智戦の日
上智戦セット。2セット回し。もちろん嫌いな言葉である。でも戦術だから。僕と中川は出ない方が強いチームだから。頭ではわかっても、気持ちが納得しなかった。いや、納得してるからこそ、感じるのは怒りでも悔しさでもなく、申し訳なさなのかもしれなかった。出さないという決断を迫ってごめんなさい。気を遣わせてごめんなさい。お荷物でごめんなさい。
3ピリに1シフトだけ出た。ベンチに帰る時、遠見に「ゴール前で人数足りなかったらちゃんと呼べ」と注意された。次は頑張ろうと思った。
次は来なかった。帯氷時間、約30秒。4-2で勝利。歴史的快挙。沸くチーム。試合終了の瞬間、ベンチから飛び出していく仲間たち。僕の居場所は氷上にはない気がして、このままベンチにいるのが正解な気がして、でも挨拶があるからノロノロと氷上に上がった。トイレでちょっとだけ泣いた。
試合終わって、自分は何しに来たんだろうって不甲斐ない気持ちになって、そしたらスタッフが差し入れの管理で大変そうだったから、手伝った。誰も褒めてくれなかった。褒めてくれなかったって、なんだよそれ、最高学年だろお前、キモいなぁ。
大森に「安東さんが泉山さんと中川心配してましたけど、泉山さんは元気そうなので大丈夫ですって言っときました!」って報告された。僕もあんまり元気じゃないよ。安東さんに弱音を吐くつもりもなかったけど。でも安東さん、心配してくれて、中川と話してくれて、ありがとうございます。

学習戦の日
親がたまには試合を見たいというので、母を呼んだ。学習戦が、春大会で僕の出られる最後の試合だと思ったから。3セット回しって言われてたから、「まぁまぁ出られると思う」って伝えた。夜勤明けで眠いだろうに、来てくれた。今日くらい頑張るかと思った。
試合直前に2セット回しになった。勝つためだから。仕方なかった。勝つためには、僕は出ない方が強いから。
2ピリは1シフトだけ出た。その後はパワーとキルで出ないまま終わった。3ピリは何回か出た。出ただけで、何もできなかったけど。

製氷中の家族LINE
母「只今またまた製氷中🧊」
母「玲君は初めに少し出たよ😃」
父「お〜!! やっとりますねぇ❢
ケガのないように😭」
玲司「なんかタイミング悪くて全然出られん」
母「まあ良いよ良いよ」
父「焦るな、玲司❢
じ〜っと準備をして出番を待つのじゃ」
試合後
母「7‐2で勝ちましたよ✨」
母「何回も玲君は出たよ😃」
母「今から帰ります!手が冷えたわ😞💦」
姉「(👍 ̄▽ ̄)👍」

ふがいない息子でごめん。次呼ぶ時は、もっと活躍しようと思った。良い家族すぎて、情けなさすぎて、帰ってから、このLINE眺めながら泣いた。」

今読むと完全に病んでますね。このほかに、もっと病んで鬱憤ばらしに歯ブラシを折っていた、駒澤戦前後の頃の文章もあるので、興味がある人はお問い合わせください(笑)。この時は、同期と後輩に弱ってるところを見せないように頑張ってました。僕の「試合に出たい」なんて勝手な欲望は、チームの利益にはならないことなので、気にしてないよ、って顔をするよう努力してました。車の同乗者である前場や山根さんには若干バレていたようですが。気を遣わせてごめんね。春大会は無事優勝して、一方で色々な問題が出てきて、部活は変革期に入りました。
やめたい奴がいる。この状態がどうしようもなく気に食わなくて、問題を解決しようと奔走しました。結果、方向性を間違えたり、後輩たちとはすれ違ったりして、問題の解決にはならなかった気がします。同期との結束は深まったかな(笑)。竹村さんも、ご協力ありがとうございました。最後まで完遂することができず、申し訳ありません。
秋大会期間は、さまざまな問題を減らしたり増やしたりしながら、進んでいきました。春大会優勝の次の目標として「3回しでみんなで勝つ」という目標を決めて歩み出しましたが、上智戦では負けたし、一橋と学習も3ピリオドには2回しになって、結局3回しでは2部に通用しないって思い知らされただけでした。3回し要員の僕としては、春以上にしんどかったかもしれません。試合に出たかった、っていうのは、正当な実力をつけて相手と対峙したかった、ということです。春の時点ではそれができるかは未知数であり、結果「試合に出せよ」で終わっていましたが、秋には出してもらった結果、自分では勝てないとわかって、ただただ悔しかったです。
駒澤戦の日は応援に来たいという友達を呼んでいましたが、前日に2回しになり、僕は出なさそうだったのでキャンセルしてもらいました。その節はごめんね。小池が出られなくなり、出番が来るかと思いきや、代わりに選ばれたのは中川でした。踏んだり蹴ったりでした。その中川がめちゃくちゃ活躍してて、あれだけやめたいって言ってた奴がここまで成長してるということは嬉しいけど、結局1秒も氷に乗れなかったことを悔しんでる自分がどうしてもいて、素直に賞賛できませんでした。敗戦で沈むチームと気持ちをひとつにできていないことも情けなくて、帰りの車は1人だったので、爆音で音楽を流しながら歌って帰りました。
七帝戦はどうだったかなぁ。たくさん試合出られたので、楽しかったのは覚えてます。東北戦は2回しで、結局大事な試合には出られないんだなぁ、と思ったのも覚えてます。合宿がずっとできてなかったので、後輩とか同期と長く過ごすことができて、とても楽しかったです。
筑波戦と、最後の練習や京大戦は、正直あんまり感慨深くはないというか、幕切れとしてはあっけなかったというか、ササーっと過ぎていきました。そのまま引退しました。
後半は雑な回想みたいになりましたが、いかがでしたでしょうか。僕としては、悩んでたこととか隠してるつもりだったので、意外だった!と言ってもらえると、してやったりって感じです(笑)。
京大戦の引退の時に、前場に「部活やってて幸せでしたか?」と聞かれ、言葉に詰まりました。回想すると、辛い思い出がどうしても出てきます。上の文章だけ読めば、幸せじゃない部活人生だったようにも見えます。
でも、楽しかったことも、たくさんあります。伊与久さんと平田さんのうらにわ新歓、小野塚さん・浅沼さんカーでのゆるいトーク、高瀬との始発待ちカラオケ、サイコパス専務、シンタさん、フミヤさんのオフ乳首、遠見の泉山家お泊まり、うん汁事件、同期マレーシア(えーっと…じゃあ、稲垣抜きで!)、オフドライブのゲイビー、オフ延長戦のディズニー、たくさんのディズニー、ディズニー、ジャンボリミッキー、オニギリハラスメントとペリカン戦法、ちえさんとの茶番、菅ファミリーのゲテモノ会、激シブ私服コンテスト、山根さんの課題ガスト、江口会、前場ドライブ、新宿女子会、スパジャポ、朝豊洲、完全に生の臨死浜焼き、澤田スカイウォーカー、ふなっしーパーク、大森のカッコいいベッドイン、パコの湯と龍泉寺、琵琶湖キャンプ、西民会、ホッケーに関係ないことばっかですが、どれも幸せな思い出です。
チームに貢献できたことも多くはないし、たくさんの迷惑もかけましたが、それでも勝手を言わせてもらうと、僕は幸せだったんじゃないかと思います!今まで本当に、本当にありがとうございました!!
最後になるけど、現役の部員たちへ。嫌なこと、面倒くさいこと、たくさんあると思うけど、終われば全部、思い出です。真剣に向き合えば向き合うほど辛いけど、その分濃くなっていくから、今を全力で過ごすべし。3年まで怠惰に生きて後悔してる僕が言ってるので、ある程度説得力はあると思いますよ(笑)。今までありがとうね!
あ、同期の皆さんもお疲れ様です。コロナ次第だけど、まぁバラバラになってもたまには会えたらいいですね。言われてもキモいと思うから普段言わんけど、大好きですよ。
以上です!読んでいただいて、ありがとうございました!!