【氷上の追憶2024 Vol9】木村 太陽

 

 

経済学部/聖光学院
FW #6  木村 太陽

 

昨年度、主将を務めました木村太陽です。

 

まずは、昨年1年間の皆様のご支援・ご応援のほど心より感謝いたします。

1年間の目標であった、「一部昇格」を果たすことはできませんでした。引退して1ヶ月半が経ち部活動のない日々を過ごしていますが、未だにあの日の夢を見ます。3:7の敗北を示したあのスコアボードは一生忘れられないと思います。

 

アイスホッケーという未知の世界に飛び込み、没頭した4年間は驚くほどあっという間に過ぎ去り、心なしか体もふくよかになり始めました。あまり、自分のことについて書くのは得意ではないのですが、この機会に存分に書いてみようと思います。駄文ではありますが、時間があれば是非読んでくださると嬉しいです。

 

 

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僕は部活動を完遂したことのある人間ではありませんでした。中高6年間でバスケ・野球・テニスと3つの部活を渡り歩き、どの部のOB会にも顔を出しにくかった。学生スポーツ最後の機会に部活動をやり切りたいと思っていました。

 

なんでアイスホッケー部に入部したのかは、そこまで覚えていません。ただ、新歓氷上での小池さんのハーフラインからのシュートと門脇さんのストップは鮮明に記憶に残っています。自分が到底成し得ない超人技をいとも簡単に見せてくれた先輩方に憧れていたんだと思います。

 

1年生の頃は、今日はまずストップの練習をして、次にシュートの練習をしてとか、とにかくワクワクしながら毎日練習に向かっていました。沢山フリスケにも行きました。門脇さんや室さんを誘って東神奈川に行った時は、それはそれは楽しかったです。なんだかできないことが沢山あって、先輩たちは難なくそれをこなしていて、自分の前に広がる世界に心を躍らせていました。なんといってもストップができるようになった時の快感は忘れられません。

 

この1年間の出来事で、一番印象に残っているのは京大戦です。ポジションも決めていない状態で試合に出場し、なぜかセンターでフェイスオフをしていましたが中村さんのアシストで点を決めることができました。素直に嬉しく、ここからアイスホッケー熱がどんどん上昇していったのを覚えています。そして、「まだ3年あるんだからスーパープレイヤーになれるなー。」なんて考えていたのも懐かしいです。

スーパープレイヤーにはなれなかったけど、まあ頑張ったよって感じです。

また、同時にろくな1年生ではなかったなと思います。部活を休んでもあっけらかんと悪びれることもなく、廉と一緒にまあまあ怒られました。4年生になってまあ岳とかに色々言いましたが、僕も1年生の時は褒められたもんじゃなかったのであんまり気にせずに。

 

 

この時の4年生とは、もっと話しておけばよかったなと思っています。チーム作りに四苦八苦する先輩方の姿を見て、遠目から大変そうだななんて思っていましたが、もっと学べることがあったなと思います。

個人的には高瀬さんに船橋まで送っていただいたのが記憶に残っています。用賀から船橋まで下道で45分という驚異的な記録を叩き出していたのが今でも忘れられません。もちろん安全運転です。

2年生は、とにかくホッケー漬けの毎日でした。当時のカレンダーを見ると当たり前のように週7で氷に乗っていて、本当によくやっていたなと思います。先輩に沢山質問をするようになったのも2年生になってからでした。「試合に出たい」と心から思えるようになったからだと思います。

結果として、小池さん・大森さん・中川さん・松本さん・澤邉の誰1人として撃破することができず大人しくベンチで座っていましたが、この頃の成長は4年生になった自分を大きく支えてくれたと思います。大森さんあたりなら倒せると思っていましたが、見立てが甘かったです。

せっかくの七大戦も骨折で全見学。悔しい思いが残る1年でした。今でもこの代の4年生と試合出たかったなと思います。

 

 

新歓代表を初めてやったのも、2年生の頃でした。

二つ返事で「やります。」と言った新歓代表でしたが、本当にいい経験でした。思ったより大変な仕事で、日々色んなことに追われていたのが懐かしいです。

実は、澤邉を入部させるのには意外と苦労しました。聖光学院出身で経験者の彼は何もしなくても入ってくれると思っていましたが、新歓に来たと思ったら「ボート部と迷っています。」なんて言い出して。今となってはなんで迷っていたのかが本当に不思議です。

 

 

部活内でも外でも一番面倒を見てくださったのはこの頃の4年生で、本当にお世話になりました。本当は何個かエピソードを書こうと思いましたが、書いていたらすごく長くなってしまったので割愛します。そのくらい思い出が多い先輩たちです。

これからも赤門の練習とかご飯とか色々とよろしくお願いします。ゴルフ練習します。

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公式戦、最初で最後のゴールは3年生の春大会。東京理科大学との試合でした。

スカリまくりのシュートでしたが、公式戦唯一のゴールなのでベストゴールとせざるを得ないです。シュートを打った後には、入ったのかよくわからなかったのですが廉が駆け寄ってきてくれたことで「あ、入ったのか。」と気づきました。この時は、まあこっからもっといいシュート決めればいいと思っていましたが、無理でした。この時の自分ごめん。

 

この時期の自分は少し中だるみしていたような気がします。上級生になってある程度部内でホッケーができる存在になったことや、就活があったことを言い訳にビジターにも2年生の時ほど行かなくなりました。東大は強いから、試合にも勝てるんだとなんとなく思っていました。でも、春大会・秋大会と優勝を逃したことでそんな考えも無くなりました。自分がチームのために率先して動かなくてはいけない。自分のためだけでなく、チームのためにホッケーをしなくてはいけないんだと強く思うようになりました。

 

中村さんと松本さんは、本当に偉大な2人だったと僕は思っています。正直3年生の時は、何もわからず意見ばかりして、そして迷惑ばかりかけていました。今考えるとわかるのは、40人近い集団を2人でまとめることの大変さは計り知れないということです。4年生になってすぐに分りました。多くの意思決定やそれに伴う責任、幅広い活動の管理、そして何より執行代としてのプレッシャーを2人で受け止めていたと思うと、頭が上がりません。本当にありがとうございました。

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4年生の間には本当にたくさんのことを学びました。

たくさんの人と関わり、1人1人の思いに触れたこの1年間。多くを与えられ、そして自分に向き合ったこの1年間は本当に何にも変え難いものでした。

 

常に楽しく、時に大変で、よく悩んだ一年でしたが、やはり何よりも入れ替え戦。これが自分の部活人生のハイライト。この日のために死力を尽くした1年間でした。

 

まず、記憶に残っているのは春合宿。勝つことへの責任と、その難しさを実感した1週間でした。

当たり前ですが、「勝利」をより強く意識することができるのは「敗北」です。うまくいかないことがあっても、「勝利」は部活全体にある程度の安心感をもたらし、そして時間の経過とともにその裏にある課題意識は消え去ります。でも、目の前の試合全てに勝たないと自分達の目標は達成することができない。「勝利」の連続の中で「勝利」を目指すことは、言葉以上に大変なことであり一筋縄ではいかないことなんだなと気がついたのがこの合宿でした。

やはり、常に大切なのはチームや自分を常に客観視することであると思います。敗北や失敗に向き合い成長を遂げることは、スポーツマンにとっては当たり前の資質であって、そうではなくて、勝利の中でも個人個人がチームや自分を見つめて、強くなれるチームを作っていこうと思いました。

 

組織の中での人の思いに強く意識を向けたのも、この合宿が初めてでした。それまでも自分なりに考えて、あーだこーだ言っていましたが100歩及んでいなかったなと。なんとなく同じ方向に向いているような気がする組織も、その中には考えて悩むたくさんの個人がいるんだということ。至極当然であるその事実に気がつくのに、長い時間を要してしまいました。

そして、リーダーである自分は常に他人を受け入れ、自分を貫く人でなくてはいけないのだと感じました。一貫性と柔軟性。時に対義語として使われるこの言葉。このどちらもをかねそなえた人間は、矛盾に陥っているように感じるかもしれませんが、決してそうではないと思っています。強い信念と自信を持って1つの目標を目指すことを決意しながらも、意見や批判を受け入れて自分やチームが変化することを厭わない。ただ、その目標だけは誰に何を言われても貫き通す。そんなリーダー像を漠然と思い浮かべた、釧路での1週間でした。

 

 

春大会。やはり、思っていた通りのことが起こってしまったような気がします。上智戦以降の勝利には決して満足できないまま、1年も後半に差し掛かっていきました。

 

秋は苦しいシーズンでした。個人として思うように結果が残せない日々が続きました。Aマークとは思えないプレーを連発し、時に試合から外されることもありました。なんかもう嗣丈の方がうまいなあなんて何度思ったことか。見るに耐えないプレーは上智戦1ピリまで続きましたが、この時には、久保さんに助けられました。とにかく走れと。余計なことを考えず、練習どおりにやればいいんだからと声をかけてくださいました。そこからは何かが吹っ切れて、引退試合までなんとか自分ができる限りのプレーはできるようになったなと思います。

 

チームとして。やはり勝利の中での成長は難しいもので、ぎりぎりの試合が多い大会ではありましたが、何か春大会とは違うものを感じていたのも事実です。慢心せずにビデミをして、自分に向き合う選手が増えていたように思います。試合だけでなく、普段の練習の動画にも100を超えるコメントがついていたのを見ると、口うるさく満足するなと言っていた甲斐があったななんて思ったりもしました。

特に、3年生の成長には心から感謝しています。先輩にものをいうことを恐れず、どんどんいろんなことに口出ししてくれました。澤邉や廣川なんかは先輩から見てもビビるくらいの剣幕で怒ってきたので時々怖かったですね。

 

迎えた入れ替え戦。無念な結果でした。ここに届かなかったのはチームを任せてもらった主将として情けないばかりです。技術、体力、マインドセット。その全てにおいて神大が上回っていたなと思います。

 

みんなも言っていましたが、パック1つに全力を注ぐことを知ったのは、入れ替え戦の後の練習でした。そして、試合を通してそんなプレーをすることの難しさを体感した練習でした。でも、これは敗北を知ったからこその経験であったとも思っています。来年以降、これがみんなの糧になることを祈っています。

 

 

12月はあっという間に過ぎ去りました。楽しかったです。

身勝手な話だけど北大に負けた時、東大はまだまだ強くなれるななんてことも思いました。来年以降、東大アイスホッケー部の躍進に心から期待しています。

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1つだけ自分についてわかったことがあります。

年始に「おいハンサム!!」というドラマを見ていた時のことです。

冷蔵庫の中の残りわずかなネギ。これをちょうど使い切ることに苦心する登場人物達の姿が描かれているシーンでした。ちょうど使い切るために朝ごはんがネギだらけになってしまったり、使いきれなかったネギが行き場を失ってしまったり、どうも食材をちょうど使い切るということは非常に難しいことのようです。

この使い切るのが難しいネギを、限りある時間・限りある人生に見立て、主人公の源太郎はこのように言いました。

 

『もがけ。きちんと悩め。人生には必ず終わりが来る。やり残しのある人生こそ素晴らしい人生だ!』

格言的なものはあまり好んでこなかった人生ですが、この言葉を聞いた時自分の中のモヤモヤがパッと晴れたような感覚がありました。

 

引退してから沢山の人からメッセージをもらいました。自分はいつも「ありがとうございます!悔しい結果でしたが、やりきりました。」なんて返信していましたが、「やりきった。」と言っている自分にモヤモヤしていたのだとわかりました。

思い返すと、この1年間気持ちよく引退をするために少し調整をしていたのかもしれません。結果的にやり残しがなかったと思ったのはそのせいだと思います。昔のように純粋にホッケーを楽しみ、今ある目の前の課題に全力に取り組むというよりは、引退時期を見据えて自分の目標を定め、後悔のない4年間にするために部活をしていたのだと、そんなことを思いました。

 

別に悲観的になっているわけではありません。この4年間は紛れもなく人生最高の4年間で、これ以上なく部活動に打ち込んでいた4年間でした。やっと胸を張って「OBです。」と言える場所ができました。

ただ、自分は終わりに向かってコツコツと計画的にゴールを目指すよりも、今そこにある課題に全力で向き合う方が向いているんだろうなと気がつきました。

今後の人生、そんなふうに生きていきたいなと思います。やり残すことを怖がらず、「まだまだやれたなー。」って思っていろんな終わりを迎えていきたいです。

 

 

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最後に。

ホッケーは、本当に多くの出会いをもたらしてくれました。部内のみんなだけでなく、自分の活動を支えてくれたみなさんにお礼を言って自分の部活動を終わりにしようと思います。

 

檀野監督。

4年間お世話になりました。

決してまとまりがある学年ではなく、迷惑をおかけしたことも多々ありました。決して呆れることなく自分達をサポートしてくださったこと、心から感謝しています。

檀野監督が監督で良かったと心から思える、そんな監督でした。

 

 

久保さん。

久保さんは追憶を読んでいるかわかりませんが、この場を借りて感謝させていただきたいと思います。

昨年1年間の活動は、久保さんなしで語ることはできないと思います。どんなシチュエーションでも迷うことなく指示をくださる久保さんを、部員全員が心から信頼しています。

残念ながら、就任初年度で1部昇格を果たした伝説のコーチにすることはできませんでしたが、自分の中では最強のコーチです。

本当にありがとうございました。そして、今後も、東大アイスホッケー部をよろしくお願いします。

飲みにいきましょう。

 

 

遠藤さん、大森さん、小池さん。

御三方とも、関わり方は違いますが、入部から卒部まで4年間お世話になりました。

自分達の代は良い代であったと思う一方で、みなさんと一緒にこんな1年間を過ごしてみたかったなという思いもあるのも事実です。遠藤さんが立てた目標に、大森さん小池さんが挑戦し、そして僕たちが達成するなんていう漫画展開に持っていくことは残念ながらできませんでしたが、みなさんと一緒に入れ替え戦という舞台に挑戦できたことを心から嬉しく思います。ありがとうございました。

 

 

OB・OGの皆さん。

毎年のご支援、そしてご応援本当にありがとうございます。

今年は、執行代であったことに加え、赤門にの練習に乗るようになったこともありOB・OGの皆さんとの関係を今まで以上に感じることになった1年でした。

特に、入れ替え戦に150人を超えるみなさんにご来場いただいた時は、その温かさに本当に力をいただきました。

これからは1人のOBとして、東大ホッケー部を支えていこうと思います。よろしくお願いします。

 

 

後輩たち。

失って気がつくとはよく言いますが、本当にその通りだと今感じています。大学生活4年間は瞬く間に過ぎていきます。去年の言葉ですが、‘’NOW OR NEVER‘’大切にしてもらえたら嬉しいです。

先輩から多くのことを学び、後輩に伝えそして後輩からも学ぶこの4年間。4年間という長さ、実に絶妙だなと思っています。毎年のように意識が変わり、やるべきことも変わるこの期間を全力で楽しんでください。特に、この1年間はたくさんお世話になりました。みんなの活躍を心から期待しています。

 

ここに書くべきかわからないけど、澤邉に一言。

僕よりも、たくさんのことを考えている主将だと思う。

大切なことは毎年違って、正解なんてない1年間だけど、澤部が楽しくいることが他の部員の支えになると思います。

無責任なこと言うなと思うかもしれないけど、楽しくいるために先輩・同期・後輩をたくさん頼ってください。

できる限りのことはするので、何かあれば頼ってください。

 

スタッフのみんな。

最後の最後まで、たくさんお世話になりました。今年の最初にスタッフのみんなの気持ちを全然理解できてないと気がついて、それから自分なりにみんなのことを考えるようになりました。プレーヤー以上に沢山の思いを抱えながら、毎日部活に参加してくれているみんなには本当に頭が上がりません。

たとえ、試合に出ることができなくても僕たちを支え、応援してくれているみんなに心から感謝したいです。

そして、僕が言えることじゃないかもしれないけど、自分がこの環境で頑張っていることを誇りに思ってください。誰もができることじゃないと思う。

これからもプレーヤーたちのことをよろしく頼みます。

 

牛窪さん。

牛窪さんにも、お礼を言わなくてはいけません。熱く、厳しく指導してくださいました。厳しい環境でホッケーをやられていたからこその言葉に、気持ちを改めさせられることが多かったです。

飲みに連れて行っていただいたのもいい思い出です。新宿の立ち飲み屋でチーム作りについてたくさん話したのが懐かしいです。ありがとうございました。

 

 

釧路の皆さん。

小笠原さん、馬場さん、益山さん、そして僕たちに関わってくださった全ての皆さんに心から感謝申し上げます。

釧路から札幌に、そして伏見に足を運び応援をしてくださったこと。毎試合後にLINEをくださったことは絶対に忘れません。遠い釧路の地にも僕たちのサポーターがいらっしゃることは本当に心強く、喜ばしいことです。

釧路の環境はこれ以上ないものだと断言できます。これからも東大のアイスホッケー部をよろしくお願いします。

釧路に行った時にはぜひ立ち寄らせてください。

 

 

他校のみんな。

アイスホッケーは人と人をつなぐスポーツだと思います。ビジターに乗るたびに他校の同期の姿に刺激を受け、自分を奮い立たせていました。

特に、羽空と仁哉にはおせわになりました。ありがとう。これからもよろしく。

 

 

両親。

4年間そして、22年間支えてくれてありがとう。

4月からは実家を出ることになりました。新生活に胸を躍らせる一方で、当たり前だった家族との日々が少し遠いものになることは悲しく感じています。

すごく自由に育ててもらったと思います。思い返せば、何をしてもそこまで怒られたことはないし、何をするって言っても応援してくれました。

特に今年は、日向の受験と重なってすごく大変だったと思います。本当にありがとう。

今こうして自分が恵まれた環境にあることを心から感謝して、社会人になります。恩返しはここからたくさんするので、2人とも長生きしてください。

 

 

そしてみんなの追憶に感化されたので同期みんなに。

 

廉。

廉とはほぼ同じタイミングで入部を決めたね。高校の時、体育祭で同じチームの1つ上の先輩だった廉の印象はシンプルに怖めのお兄さんでした。「廉さん」を「廉」に変えるのは、少しばかり勇気のいることだったけど、今となっては僕の大学生活を語るには欠かせない大切な友人です。

1年生の時に、初の配車で一緒に船橋まで行ったのはすごくいい思い出です。なんだかんだびびっていた自分をよそ目に、初っ端からヤンキー運転をかます廉を見て、謎に自分も大丈夫かなと思いました。

4年生の間は本当に助けられました。どんな時も一番に声を出し、チームを盛り上げてくれる姿に多くの刺激を受けました。

後輩からの信頼もすごく厚い人だったと思う。高校の時は勝手に怖がってたけど、もっと仲良くしとけばちゃんといい先輩だったんだろうなと少し後悔もあります。

これからもよろしく。

 

健太。

健太の追憶に書いてあったインライン練習会、今でも覚えています。よく、羽空と3人で練習したのが懐かしいです。健太が部活にいてくれたことは自分にとって、大きな支えでした。健太がいるといないとでは、自分の4年間が違ったなと思います。よくビジターに誘ったのも、急に飲みに誘ったのも、何度も家に押し掛けたのも健太といるのがただただ心地よかったからなんだと思う。本当にありがとう。

プレーでも何度も救われました。みんな言ってたけど、あの上智戦のゴールは本当に一生忘れないと思う。正直、終わったと思ってました。でも、氷の上で最後まで諦めずに走ったことを心から尊敬します。あそこに立っているのが、健太じゃなかったら多分、入れ替え戦には出れてなかった。

生徒会も、受験も、部活も、就活も一緒にやってくれてありがとう。ここからは違う道に進むけど、末長くよろしく。

最近、彼女にかまけているのか知りませんが、LINEの返信が異常に遅いのでそこだけはしっかり直してください。

 

増澤。

増澤がいつ同期になったかは覚えていませんが、同期の中では欠かせない男です。うまく言葉では表せませんが、いると安心するそんな男でした。元先輩ですが、廉よりはタメ口を使うのに苦労しませんでしたね。

増澤は本当に同期でよかったと思います。突然、ワールドカップに行ってみたり、戻ってきたと思ったら留学に行ってみたり、後輩だったらちょっと困っちゃうような人だったけど、同期としてはいてくれて助かる存在でした。特にミーティングの時なんかは、難しい顔して考えて終盤に10分くらい1人で喋り倒す増澤。うるせえななんて思ったこともあったけど、集中して聞いてみると意外といいこと言ってて。一年の目標を決める時なんかは、すごく助かりました。

そして、最後の最後、部活動にすごく向き合ってくれていたのが伝わりました。なかなか、情熱とかそんなものが表には出てこないタイプだと思ってたけど、明らかに最後は変わってた。試合に出て、チームに貢献するんだとそんな気概がみれて本当に嬉しかった。

 

尚紀。

うちの代の飲み会番長は山口尚紀です。クールキャラの彼が英語しか喋らなくなったら危険です。みなさん覚えといてください。

尚紀は僕と同じく、部活動の途中で考えが変わった1人だと勝手に思っています。明らかにチームのことを考えて動くようになったと思います。4年生の1年間たくさん助けられました。僕と竹本が手の回らないところを率先して引き受けてくれました。‘’NOW OR NEVER‘’の生みの親も尚紀だね。本当にありがとう。

そして、頼られる選手になれなかったなんて言ってますが、全くもってそんなことない。声を大にして言いたいです。ディフェンスにとって、安心してゴール前を任せられるセンターは本当に貴重です。確かに、数字だけでみたら竹本に及ばないところもあるかもしれないけど、少なくとも僕は尚紀を頼りにしてたし、多分みんなそうだと思うよ。

あと1年、後輩たちをよろしく頼みます。

 

川口。

川口は良きライバルでした。好奇心の塊みたいなやつだったので成長スピードがすごかったのを覚えています。川口ができることができないのが嫌で必死に練習しました。そのおかげで上智との下級生試合で「東大の1年うまいね」なんて声も聞こえてきたので本当に感謝しています。4年間通じて一番活躍が気になったのは川口だったかもしれません。そして、点を決めた時に一番嬉しかったのも川口です。なんか本人は、「あ。入ったね。」みたいな感じの顔してたけど、こっちは勝手になんか込み上げるものがありました。

オフアイスでも、よく話してくれていろんなことに興味が尽きない川口と話すのは本当に楽しいです。

なんか、ホッケー止めるなんか言ってるけど、そんなことは同期全員が許さないと思います。氷に乗ってる川口、大好きなのでそんな悲しいこと言わずに一緒に赤門に行こう。

 

大河。

大河が入部してきてくれた時のことはいい思い出です。決まりかねていたゴーリーのポジションを、悩むことなく選んでくれた時は本当に助かりました。

沢山悩んで、沢山考えている大河に時に厳しく接してしまった時もあったと思う。結局は戻ってきてくれるだろうと信じられなくて申し訳ない。

それでも、アイスホッケー部に戻ってきてくれた大河に、戻って良かったと思ってもらえたかな。それはわからないけど、このかけがえない時間を大河と共有できたことは僕にとっての誇りです。ありがとう。

紆余曲折ありましたが、自分の実力で最後は正キーパーに戻ってきてくれました。かっけえよ。引退試合を大河と一緒にプレーできたのは本当に嬉しかったです。

社会人になってもランチでもしましょう。

 

竹本。

竹本がいないと何も達成できていなかった1年だったと思う。最後まで、プレーでチームを引っ張ることのできなかった自分にとって、きつい時に点を決めて帰ってきてくれる竹本の存在は本当に大きく、そして頼りになるものでした。

1年生の時の筑波戦、なんでか何度も何度もPSを打っては決めて帰ってくる竹本の姿を見て絶対に追いついてやるんだと、強く思いました。自分なりに頑張ってみたものの、遠く及ばず。でも、なんとか一緒にプレーできるようになって、試合前の礼の時に竹本のヘルメットを持てるようになったことは心から誇らしいことでした。

あまり口には出さないけど、多くの責任とプレッシャーに苦しんだこともあるんじゃないかと思います。人生で一回もエースになったことがないのでわかりませんが、大変だったと思う。心からお疲れ様と言いたいです。

毎日のように竹本とLINEして、頭を悩ませた日々はかけがえのない時間でした。ありがとう。

そして、これからはコーチとして強い東大を作っていってください。沢山ご飯でも行きましょう。

 

慶。

個人的に、慶とは沢山思い出があります。新歓氷上の後にそのまま海浜公園まで遊びにいったり、増澤や健太と箱根に旅行したり、楽しかったね。海浜公園に行くために、一度慶の家の付近まで行った時、その距離の遠さに驚愕したのを覚えています。執行代になって大和や伏見のリンクをとるときは毎度毎度、慶の顔が浮かびました。遠いところから毎回来てくれて本当に感謝しています。

そして、試合の時には純粋に僕達の勝利を願ってくれていたことが、ビデオを通して伝わっていました。時に、ビデオを見ていると慶からの厳しい指摘が入ってるところもありましたが、それも自分の成長の糧になったなと思っています。

執行代、主将とスタッフとして少し喋りにくくなってしまったこともあったかなと思うけど、これからは1人の同期として仲良くしてください。

 

範子。

最終年度、たくさん迷惑をかけました。範子とは4年生になって沢山話をしたね。入部初期の頃から一緒だったのに、ちゃんと真面目に話をしたのは4年生になってからでした。自分なりにスタッフのことを考えていたつもりでしたが、範子と話していくうちに自分がかなり狭い視野で色々考えていたんだなと気がつきました。決して、笑って思い出せるような時間ではないけど、自分にとって必要不可欠な時間だったと思います。

そして、臆せずに沢山の意見を言ってくれる範子の存在はプレーヤーにとって、すごく刺激的でいい存在であったと思います。誰もができることではないと思うし、心から尊敬しています。ミーティングの時も、何気ない時も、範子の一言でたくさんのことが変わってきたと思う。本当に沢山お世話になりました。

 

 

心からこの部に入ってよかったと思っています。

ありがとうございました。

 以上