工学部/渋谷教育学園渋谷
FW #21 増澤 慶祐
12月1日入れ替え戦。この試合は2シフトしか出られなかったけど、スンミンに並走しながらブルーラインを割るとき、パスをもらおうとスンミンの方を見ると、その後ろには、スタンドで応援をする大勢の人の姿が見えた。まるで自分がゲームの中でプレーしているかのような感覚を覚え、その時初めて試合に出る喜びを実感した。こんな大舞台の試合の臨場感の中、多くの友達や両親が自分を見に来てくれているなんて、なんて幸せなんだろうと思った。この試合以降、4年間感じ続けていた苦しみから解放された。
4年間を通して、試合に出ることも少なく、出たとしても自分の貢献度の低さに嫌気がさすことも多かった。そんな中、この試合は自分を特に卑下することもなく、自信を持ってプレーすることができたと思う。それは、この試合の前後の時期で、自分がやるべきことをやっと体の感覚として捉えることができたからだと思う。それは、つまり、ボード際におけるアグレッシブさ・ハングリーさにあった。壁で相手を潰してバトルして、パックを奪い取るといったフィジカリティは、確かに体の強さというフィジカルに裏付けられるが、それ以上に、パック欲しさの強い姿勢が滲み出続けることから生まれる。実は、これを100%体に叩き込んで実践できるようになったのは入れ替え戦後の練習だったが、入れ替え戦前もだいぶ意識は完成に近づいていた。いずれにしても、そこからは、最後の1ヶ月のホッケーはすごく楽しかった。練習はもうほとんどなかったが、試合に出る喜びと共に、自分がやるべきプレーをシンプルに考えることができて、心が自由になった。最後の一ヶ月は、せっかくこの喜びを知ったのに、もっとやりたかったなっていう気持ちは正直あった。だけど、期間が決まっている中でやり切ることも大学スポーツの醍醐味だと思う。
思えば、自分はこの競技を誤解していたと思う。自分が初めてアイスホッケーに触れたのは、小学校低学年の頃にスウェーデンにいた時だった。近所のアイスホッケーチームが開催するスケート教室で、フォアスケとバックスケートに少しだけ触れた。だが、土曜日の朝早く起きるのが嫌で、結構すぐに辞めてしまった。しかし、近所の子供たちに道路でのホッケーに時々誘われて、それはすごく好きだった。そして、自分よりちょっと年上の近所の子供たちがインラインでスイスイとホッケーをする姿に憧れを覚えていた。だから、自分にとってのアイスホッケーの第一印象は、軽やかに滑る綺麗なスポーツというイメージだった。故に、自分がアイスホッケー部に入部した当初、どんな姿になりたいか考えたとき、それは軽やかにプレーを支配するプレーメーカーだった。この自分の中の理想像は、三年生の頃までははっきりと、四年生の最後までも微かに残っていたと思う。
ここで少し、アイスホッケーへの考え方、部活動との接し方、人間的な成長の道のりを振り返りたい。
一年生。
一年生と言っても、本当は二年生。僕は2020年に入学し、コロナ禍の拡大の中、運動部の春新歓はほとんど行われなかった。サッカーアルゼンチン代表のディバラに憧れていた僕は、夏休みにサッカーボールを買って公園でサッカーの練習をしていた。そして、秋新歓ではア式の体験にも行った。アイスホッケー部の新歓にも行った。しかし、どちらにも入らず、結局二年生の春を迎えた。あっという間に2度目の新歓期も過ぎようとしていた6月くらいに門脇さんに連絡を取り、体験に行かせていただいた。そして、入部した。入部理由はいくつかあった。四年間何かに打ち込むことで、自分の逃げ癖を解消したかった。そして、未経験から成長するプロセスを経験したかった。
一年生の記憶は、木村と川口とひたすら下級生練習をしている記憶がほとんどだ。木村と川口は僕より入部が早く、追いつくのに必死だった。差が埋まった気がしては開いて、という繰り返し。加えて、二年生で入部して、三年間しか活動しないから、余計成長することへのプレッシャーを感じていた。そんな中、OBの田村さんはほぼ毎氷上のペースで来てくださり、指導していただいた。夏頃は木村、川口との実力差も結構あり、ほぼつきっきりで見ていただいた。この頃は結構苦しかった気がする。田村さんには本当にお世話になり、ありがとうございました。
また、自分は結構問題児だったと思いますが、先輩の皆さんに優しくしていただいてありがとうございます。七帝戦で仙台に行った時に、思った以上に喜んでくれていたのが印象的です。そして、この年、学問的な理由で留年することを決めて、四年間部活動をすることが決まった。この決断には色々と迷った部分もあったが、ゆまさんに「絶対四年間やった方がいいよ」と助言をいただいたのを覚えている。振り返ると、四年間やって良かったと思う。
二年生。
今度こそ本当に二年生。この年は、氷上面の記憶はあまりない。ただ、YouTubeやインスタでひたすらホッケー関連の動画を収集していたのは覚えている。周りの人にも色々とアドバイスをいただいた。どのくらい上達したかどうかははっきり覚えていないが、恵まれた環境だった。上手い選手に囲まれ、向上心高いライバルに囲まれ、一部Aの選手や日本代表の選手を間近で見れたり、アドバイスを聞けたり、この環境とんでもないなと思っていた。
そんな中、やっぱり競争は厳しくて、結構苦しかったのは覚えているが、その中でも部活を続けられたのは、素晴らしい人たちに囲まれていたから。同期とも段々仲良くなって、先輩とふざけ合える関係性だったのも救いだった。そして、ホッケーの技術を盗もうと周りのプレイヤーの動きや動画を細かく観察する中で、人間性の面でも色々と観察し、学ぶ機会も増えた。大河と話す中で、部活には結構特徴的な人がいることに気づき、人間性の面でも学ぼうと思えたから、大河に感謝している。四年間続けてきて常々思ってきたが、本当に四年間とも人間的に素晴らしい人ばかりで、刺激を受けることができて、そのおかげでホッケー面でも人間面でも多くの成長をすることができた。この部活に入ったからこそ、人のディープな考えや面白い部分を引き出すことの楽しさを知ることができた。そして、長い時間を深夜の車内で過ごし、数々の遠征に行くことで、実際に皆の人間性の面白さに触れることができた。これは本当にかけがえのない財産になった。
チームは三冠と入れ替え戦を経験したが、自分はあまり貢献できず、無力感や悔しさを感じていたのは覚えている。だけど、やっぱりこの年は本当に大好きな先輩方と共に時間を過ごせて幸せで、それが一番記憶に残っている。また、色々と問題児行為を行い、申し訳ございませんでした。
三年生。
この年も、中々試合に出れず、悔しい思いをした。僕はここまでの三年間、人に積極的にアドバイスを求めたり、動画を見るなどインプットは多くしてきたが、ビジターに行ったりフリスケに行くなど肝心のアウトプットは全然こなしてこなかった。その背後には、部活動への辛さがあった。
思えば、うまくならなきゃいけないといったプレッシャーではなく、もっとピュアに競技や上達のプロセスを楽しめば良かったなと思う。自分はやらなきゃいけないと思うとやる気が削がれるタイプだから、ビジターやフリスケの嫌だという気持ちや面倒だという気持ちが先行してしまった。確か二年生の辛かった時期に、OBの菅さんが下級生指導で来てくださったことがあった。菅さん自身が辛い時に、スケーティングが好きという気持ちは強く残っていて、それで続けられたとおっしゃっていた。自分もスケーティングは好きだったので、それを聞いた時は結構心に沁み、それが自分を迷いから救った。その言葉のまま、全てを忘れて、スケーティングの楽しさに没頭すればもっと早くもっと上手くなったかもしれない。他にも、近所の公園で、一人でハンドリングしてインラインしてシュートするのはすごく好きだった。そういった素朴な楽しさをもっと大事にすれば、結果的にもっと心からフリスケやビジターにも取り組みたいと思えたのかもしれない。引退してから、現役時代に散々インプットに使ってきた動画を見返そうと思っても、苦しくなって手が止まってしまう。自分の弱さとか、もどかしさとか、後悔とか、そんな苦しみを封印するための防衛本能かもしれない。まあでも、このような苦しい経験をしたからこそ、自己理解が深まったし、ハートも強くなった。
また、この年、中村にはだいぶお世話になった。中村は車も同じで、ホッケーのアドバイスなど色々とくれた。また、私生活が忙しかったり、主将として部活運営などに悩む部分があるのも見えたが、その中でもずっと休まず部活をリードし続ける姿がカッコいいなと思った。
四年生。
一月はよく覚えていないが、江戸川だったのは覚えている。そして、一月も、留学から帰ってきてからも、沼田にはマジでお世話になりました。車の中で、沼田と色々と話したり、沼田の熱い部分とかカッコいい部分を色々と知れて、すごく楽しかったです。ありがとうございます。また、金森、宮田、合六、水田などとも一緒に車に乗れて、色んな面を知ることができて良かったなと思う。
二月から六月末までは、部活動が辛過ぎて、留学した。それでも、意外と真面目だった僕は、わざわざスイスに防具を持っていき、何回かホッケーやスケートをした。スイスできみこや藤田さんと会ったのも面白かった。
留学から帰ってきた最後の五ヶ月は四年間で一番心が充実していた。戻るか迷う部分もあったけど、四年間やり切ることに結構価値を置いていたし、人間的にこれだけ学べる対象がいる環境は今後ないかも知れないと思い、合宿から復帰した。特に、間宮の影響は大きかった。合宿での氷上の記憶はそこまで無いが、今まで以上に色んな人と話して、仲良くなれた気がする。小笠原さんや益山さん、ヴィラの皆様には大変お世話になりました。
九月から十一月。部活人生でかつてないほどビジターに行ったり、自分の中で目標を絞った練習をしたりと、本当に悩み少なく部活に取り組めたと思う。ビジターに乗ったとき、林になんでこんなにビジターに乗り始めたのかを指摘されたこともあったくらい、結構詰め込んでいた。横浜銀行アイスアリーナのフィギュアのレッスンにも行くくらい真面目だった。フィギュアのレッスン、結構体の使い方を意識できるからおすすめします。
さて、七帝戦で北海道の宿にいたとき、間宮に、「皆決意で目標は書くけど、それを読み返さないよね。俺は皆の決意を定期的に読み返しているよ」という類のことを言われた。決意という目標があって、その達成度を計ってこそ、その過程を評価できるという指摘である。だから、決意を振り返ってみたいと思う。現役時代に読み返してこなかったことは反省だが、なんとなく決意の内容は意識しながら生きてきたとは思う。
- Now or Never。目の前の時間を大切にする。「スポーツは飛び飛びの結果が目立ちやすいが、その間の過程には膨大な努力量と費やした時間が潜んでいる。結果に嘆くことがあっても、その過程で最大限出し切ったと誇れるのか。」と書いてある。この最後の数ヶ月は、最大限頑張り切ったと思う。一月の部員総会で、檀野さんが、「引退する頃、自分は経験者に劣らない」と思っていたとおっしゃっていた。僕は、実力では多くの部員に劣ると思うが、このラスト数ヶ月の頑張りでは誰にも劣らないくらい頑張ったと誇れる。
- オーナーシップ。背中で見せられたのか。
デカい背中かどうかは、見る者しか判断できない。
- コミュニケーション
自分から話しかけにいけない時もあって、ちょっと後悔が残る。むしろ、後輩の皆が近寄ってくれて、すごくありがたかったくらいだ。特に、去年まであまり接点を持てていなかった二年生とこんなに仲良くなると思っていなかったから、すごくありがたい。また、一年生や三年生とも仲良くなれてすごく良かった。留学に行っていて一緒にいる時間は短かったけど、部員の皆と話せて、皆とワイワイやれて、すごく充実していました。結構愛されていたんだな、と思いました。ありがとうございます。
十二月。ここで、冒頭に戻ってくる。
気持ちの部分で中々試合に出られなかった、もしくは活躍できなかった理由をもう一つ書き記しておきたい。それは、端的にいうと、気持ちで負けていたのだ。
冒頭でも書いた通り、自分にとってのアイスホッケーは綺麗なスポーツだった。だけど、例えば、尚紀と対戦するとき、合宿で自分が次に目指すべき目標を尚紀に聞く間宮を見る時、木村や川口とビジターに乗るとき、水田や廣川と一緒に壁沿いでキープしようとするとき、試合中の澤邉の表情を見るとき、上智戦の残り0秒で飛び込む間宮を見るとき、感じる。アイスホッケーは、盤上のゲームじゃないんだと。どれだけゴールを欲しがるか、パックを欲しがるか、その必死さ、そのぶつかり合いがアイスホッケーを面白くするんだと。これは、言葉では分かっているつもりでも、体では、四年生の最後の一ヶ月を迎えるまで分からなかったし、まだ分かっていない部分もある。
思い返すと、一年生の新歓でア式の体験に行き、Bチームの練習に混ざった時にこれを感じた。Aチームに這い上がるんだ、ゴールを決めて見せるんだ、そんな彼らは戦さを戦っているような雰囲気だった。僕は、この雰囲気に怖気付いたのもあってア式に入らなかったが、結局どんな勝負でもこれは大事だったということだ。
四年生の最後の方は、壁で潰すという意味ではこのアグレッシブさ・ハングリーさを真に自分の中に取り入れられたと思うが、ゴールを決めるという意味では足りなかった。それが、気持ちで負けるということだ。
部活動から何が残るか。
最終的に何が残ったか、それはやはり人間としての成長だと思う。自分は自分で自分を苦しめるタイプだから、特に最初の三年間は自分にプレッシャーをかけ続け、それに悩み続けた。だけど、周りから学び、成長する。苦しみを乗り越えて、もがき続ける。最後には、到達点に対する後悔ややり残しの感情もあるけど、この過程を辿った自分はすごく誇らしく感じる。そして、苦しくて苦しくてしょうがない道のりだったけど、そんな人間的な成長といったロボットを評価するような基準だけじゃなくて、最後には、アイスホッケー競技本来の楽しさも知ることができてよかったなって思う。もしやり直すとしたら、人間性を学ぶとか、ホッケーを学ぶとかもかけがえのない収穫だったと思うけど、もっとピュアに楽しめたらよかったなと思う。
それでも、自分が過ごした四年間は変えられないものだと思うし、アイスホッケー部員であったことを誇りに思います。
最後に。
感謝。
4年間を通して関わってくださった皆さんとの一つ一つの会話、皆さんの一つ一つの言動が自分を成長させてくれました。また、アドバイスをくれて最後まで信じてくださった久保さん、これだけアイスホッケーに集中できる恵まれた環境を提供していただいたOB・OGの皆様、応援してくれた友人、お世話になった牛窪さんやマックスの皆様、宿泊先・遠征先・大会主催者の皆様、対戦相手・チームメイトの皆様には心から感謝いたします。そして、自分の幸せを願い、ずっと応援し続けてくれた両親にもありがとうを言いたいです。