【氷上の追憶2024 Vol10】竹本 泰志

 

教養学部/明治大学付属中野高等学校
FW #88  竹本 泰志

 

まずは引退するにあたっての感謝からです。OB会費や会場応援を通じてご支援くださったOB、OG、保護者の皆様、檀野さんや遠藤さんをはじめとした監督コーチの皆様、最高の合宿を提供していただいたEHSCの皆様、現役が心置きなくホッケーに集中できる環境を作っていただき誠にありがとうございました。また、ビジターに乗りに来てくれた他校の方々、いつもラインなどで応援してくれていた高校同期、後輩、顧問の先生方にも深謝いたします。毎回会場応援に来てくださった保護者や先輩の皆様、メールで激励の言葉をくださったOB様方をはじめとしたたくさんの応援が僕らの励みになりました。目標としていた入れ替え戦勝利は達成することができませんでしたが、これほど恵まれた環境を作っていただいたこと、この場をお借りして心から感謝を申し上げます。

 

東大に合格したその日にインスタでDMをして以来、引退するまで東大アイスホッケー部は本当に楽しかったし、僕の心のよりどころでした。遠見さん、松井さん、中村さんをはじめとした先輩方にはたくさん迷惑をかけました。ごめんなさい。部をまとめることがこれほどまでに大変だったことを思い返せば、後輩だった僕らに弱音一つも吐かずに執行代を完遂した先輩たちには頭が上がりません。生意気な僕に好き勝手プレーさせてくださり本当にありがとうございました。

 

家族へ。直接言うことは多分ないので、ここに記します。まずは祖母と父、僕が小さい時からほぼ毎回の試合を観に来てくれてありがとう。試合会場で祖母と父の姿を見つけた時本当に心強かったです。母、練習、試合前のご飯いつもありがとう。丸亀製麺で食べるうどんよりも、母の手作り料理のほうがはるかに自分のプレーのキレがよかったです。試合に行く前の「頑張って」の一言が、不安な気持ちを持った僕の背中を押してくれました。兄1、ビデオに収録されている「チェックすんな!」は部内で有名です。あの怒号、もう一度聞きたかった。ここには書ききれていない祖父や兄2も、試合観戦や声掛けで本当に勇気をもらえました。ありがとう。

 

久保さん。高校の時都大会でボコボコに点決められ、練習試合ではチェックされ、まるで雲の上のような存在がまさかコーチを引き受けてくださるとは思いませんでした。久保さんの言語化のうまさや知識の豊富さでチームは大きく成長できました。プレイヤーとコーチの関係は1年という短い期間でしたが、本当にありがとうございました。来年から僕もコーチなので遠慮なくこき使ってください。

 

後輩プレイヤーたちへ

 

新2年生

みんなひたむきに努力していると思います。ケガなどでいろいろな困難はあるかもしれませんが、自分のペースでまずは基礎をじっくり固めてください。今年は僕もコーチとしてできる限り支援します。

 

新3年生

一番付き合いが多かった代かもしれません。本当に仲良くしてもらいました。問題児が多い気がしますが、僕の経験上、問題児が多い代はなにかしらの偉業を成し遂げる傾向があります。それぞれが自分の個性を生かし、上級生として新4年生を支えてあげてください。就活や学業など一番忙しい時期なのは重々承知ですが、引退して振り返ってみればそれもいい思い出になるはずです。あとウエイトも頑張ってね。

 

新4年生

今年が一番困難の多い代かもしれません。ですが、部員総会や普段の練習を見ている限り、しっかり準備しているようで安心しました。新4年生同士意見がぶつかることもこれから多いかもしれませんが、妥協することなくそれぞれがリーダーシップを執って新チームを引っ張っていってください。

 

スタッフ

スタッフと大きく括りましたが、スタッフである以前に君たちは部員です。スタッフから見てなにかチームで改善したほうがいいと思うことなど少なからずあるはずです。臆することなく意見してください。スタッフは演劇で例えるなら、背景の木や家ですらなく、それを一生懸命に型取り、色を塗り、こだわって作っている裏方かもしれません(自分は主役だ!と思っている人はもちろんそれで構いません、素晴らしい心持ちだと思います)。観客や外野はその装飾や背景のこだわりに気づかないかもしれません。でも背景や装飾なしでは演劇は成り立たないし、役者は、プレイヤーは君たちの苦労を、努力を知っています。どのスタッフがビデオ上手いとか笛上手いとかテーピング上手だとか、直接言わないだけで知っています。苦しい時期や部活が嫌になることが多いかもしれませんが、無理しない範囲で東大アイスホッケー部を支えてください。

 

同期へ

 

木村

まずは1年間主将お疲れさま。プレッシャーも責任も僕が想像もできないほどに大きかったものだったと思う。木村がいなかったらこの1年、僕らは満足にホッケーすることもできなかったかもしれない。大学始めのプレイヤーだろうと関係なく、部をよくするため、チームが強くなるために積極的に行動するところ、本当に尊敬しています。でももっとゴール見たかったー!

 

金森

東大がゴールを決めたとき、まず初めに聞こえてくる音は金森の声だった。プレーはやんちゃだしすぐ反則するし、ワンタイムすかるしで色々僕から文句言われたかもしれないけれども、金森のアグレッシブなプレーは確実にチームを活気づけたしやっぱり金森なしでは絶対に勝てないって心の中では思っていました。上半身しか筋トレしていないのに謎に体強いし、バッティングも謎に速いしで実は色々ライバル視していましたw。

 

間宮

東大和のセンターサークルでスケーティングしていた間宮に怒号を浴びせたのが出会いでしたね。僕もよく覚えています。いやー、間宮は本当にすごかった。大学初めで間宮より勝負強いプレイヤーはいないと思います。2年の時の入れ替え戦初ゴール。4年秋大会の上智戦残り0秒ゴール。並ではない努力と圧倒的な才能は尊敬します。秋の上智のゴール、ビデオで見返してうるっとしてしまいました。

 

増澤
おもろいやつでした。僕らが1年の時は敬語を使っていたはずの先輩が、2年になったらタメ口で話せる同期になっていました。急にカタールにサッカー観に行ってたり、留学先スイスでのホッケーの様子をビデオにまとめてきたり(結局1回で終わったけどw)、色々変なやつでした。でも増沢のホッケーに対するクリティカルなIQや謎に魅せるハンドリングやパスはいつも驚かされていました。2年の七大戦時に決めたキックゴールが最後になるなんて…。初ゴールが見たかったです。追いマッチ期待してます。

 

なおき

静かだけどおもろいやつ。僕の足元に及ばないとか追憶で書いているけど、なおきの方が上手い部分たくさんあったし、なおきのホッケーから盗んだ技術も結構あるよ。同じセットでプレーしていた時はいてほしいポジションにいたし、僕が欲しい時にドンピシャでパスくれました。僕が一番プレーしやすかったのは間違いなくなおきと一緒の時でした。今年はコーチで一緒だし、社会人チームも一緒だからまたよろしく。ラインの返信早くして。

 

川口

最初はこれがThe・東大生かと思いました。でも4年もたつと本当に立派なホッケープレイヤーになった。いまでは直線ダッシュ勝てないと思います。川口は本当に努力家で、一人でMTCレッスンとか行っていましたね。川口が載っているインスタの投稿だけいいねしていました。4年の下半期から本格的に一緒のセットでプレーするようになって、川口の我武者羅なフォアチェックには本当に助けられた。ありがとう。院行っても社会人になってもホッケーたまには一緒にやろうぜ。

 

たいが

合宿とか遠征の夜、舌打ちがうるさい。しゃべるたびに舌打ちするの僕にも移りそうになりました。休部から戻ってきてくれた時、本当にうれしかったよ。たいがの男子校トークと下品な笑い声は故郷のようななつかしさがありました。最後の七大戦のゴールを守る姿、本当にかっこよかった。北大戦勝たせてやれなくてごめん。また飯いこうな。

 

毎試合、会場でもビデオでも誰が言ったかすぐわかる声でいつも楽しませてもらっていました。フェイスオフつくときに聞こえてくる慶の「東大がんば!」の掛け声は本当に勇気もらったし、全然上手くない僕のプレーもほめてくれて滅茶苦茶うれしかったです。慶の仕事の質の良さはわかっていたし、毎練習のビデオや笛、頼もしかったです。部活を続けてくれてありがとう。

 

範子

部活に対する熱意、後輩やチームに抱いている思い、たくさん聞かせてもらいました。スタッフとしてなぜ部活を続けているのかわからない時も精神的につらい時もたくさんあったと思います。でも大事な試合で勝った時、負けた時、「なんでこの部でスタッフをやっているのか分かった気がする」、その言葉を聞くたびに範子がアイスホッケー部の一員でよかった、同期でよかった、アイスマンでよかったと心から思いました。4年間お疲れさま。

 

3、4年間一緒にホッケーを続けてくれてありがとう。後味の悪い追憶を書かせたくないという思いからたくさん厳しい言葉もかけました。目標を達成することはできなかったけれども、スタッフ含めみんなとホッケーができて本当に幸せでした。ありがとう。

 

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試合終了残り10数秒、エンプティネット。バックチェックも虚しく空のゴールにパックが吸い込まれる。心が折れた音がした。顔を上げることなんてできなかった。試合終了、残ったのは虚無感。悔しさも悲しさもそこにはなかった。控室、隣で泣いている同期を見て少し羨ましかった。結局自分は何もできなかった、何も成し遂げられなかった、小中高の自分と同じ。過去のトラウマがフラッシュバックし、空の心に突き刺さる。

 

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1月の早慶戦で久保さんと出会い、コーチとして招聘してからチームが大きく変わった。1月のスケーティング練習で今年は絶対昇格できる、そう思った。チームは順調に成長していった。春合宿の釧路湖陵高校との試合、点差こそ開いたが去年、一昨年の湖陵戦とは全く違う手応えに自分たちの成長を感じることができた。

 

自分も大きく成長した。1月のスケーティング練習でそれまでになかった圧倒的なスケーティングスピードを手に入れたし、パンチターンを改めて体系的に教わり、モーションの少ないシュートも会得した。

 

春大会は圧勝だった。チーム全員が守りの意識を頭に入れ、失点は最小限に抑えられていた。春大会優勝は通過点だと身をもって感じられた。得点力という課題を残しながらも、念願の1部昇格に大きな期待を膨らませていた。

 

でも下半期はそう上手くいかなかった。春までに力を入れていた守りに綻びが見えていた。それにもかかわらず得点力には成長が見られない。昭和戦と筑波戦が僅差での勝利に終わり、ゲームキャプテンとしての自分になにか重荷か責任がのしかかってくる感覚がした。年始や春に感じていた入れ替え戦勝利への期待はやがて不安に変わっていく。自分のセットが決めないと、自分のセットが失点しない、自分が決めないと試合には神大には勝てない。その意志はやがて一種の強迫観念として試合中の自分自身に付きまとった。

 

それでも秋大会は勝てた。過去少なくとも60数年成し遂げていない2部全勝優勝。松井さんの代ですら成し遂げられなかった快挙。上智戦残り0秒、間宮の同点弾。最初なにが起こったのかわからなかった。自分がぶん投げたパックを、残り時間なんて関係なく、信じて走ってくれていた仲間がいた。エンプティネットでの失点ぎりぎりのところで反則すれすれで防いでくれていた仲間がいた。自分一人じゃない、仲間がいるからここまでこられたんだ。わかっていたつもりだったけれど、ビデオで見返した時、気づいたら視界がにじんでいた。

 

同じセットだった川口や間宮、廣川、水田たちの大学始めのフォワード、ディフェンスたち、キーパー、ベンチ、観客席で見守る部員たち、彼らの活躍は声援や怒号はスコアボードにもゲームシートにもスタッツにも記録として残ることはない。でも僕が点を決められたのは、なおきや金森、澤邉、尾畑が活躍できたのは言うまでもない、彼らの記録に残らない頑張りがあったから。観客にも相手チームにも認知されない熱意かもしれない。だけど僕の記憶にはずっと残り続けていた。

 

彼らがいないと絶対勝てなかった。未経験、そういうカテゴリーで分類されている彼らは経験者の僕らよりはるかに立派でハードワーカーでなによりもこのチームの主役だった。そんなこと前までの東大では考えられなかった。経験者で組まれるセット、未経験が入れる余地は本当に少ない。経験者がゴールを決め、経験者がゴールを守った。そこには限界があった。でももうとっくに経験者とか大学始めとかでカテゴライズする時代は終わっていた。彼らもすでに立派な「経験者」になっていた。

 

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仲間に恵まれていた。一人では何もできなかった。フォワードが走っていたから、ディフェンスが体張っていたから、キーパーが止めていたから、スタッフが支えていてくれたから、僕らはここまで来られたんだ。

 

振り返ってみれば、僕らが出発した港はもう見えない。

決して描いていた理想ではない。だけど思っていたよりも遠くまで来ていたんだ。

 

それに気づいたとき、溢れ出る涙と嗚咽を止めるすべはなかった。僕らは入れ替え戦で負けた。あの空虚は、ただただ目の前の負けを受け止め切れていなかった。

 

確かに僕らがやってきたことは4年生にとっては無駄になったかもしれない。でもきっと後輩たちがあの負けを糧にして、僕らの背中を踏み台にして、超えてくれるはず。

 

毎年始め、東大は弱い。でも年の終わりが近づくにつれこの代は歴代の中で一番強い、そう確信をもって言ってきた。そこに経験者の人数云々とか関係ない。

 

後輩たち、君らは今弱いかもしれない。でもいつかは胸を張って歴代最強の東大になるはずです。いや、そうならないといけない。

 

ハンドリングが上手くなりたい、シュートが速くなりたい、ゴールたくさん決めたい、失点しない、チームのために尽くしたい、勝ちたい、そんなありふれた思いが、願いがきっと君らの足元を照らしてくれます。間違いない、僕もそうだったから。

 

あとは託しました。