【氷上の追憶2024 Vol1】山口 大河

 

法学部/早稲田高校
GK #30 山口大河

 

1月3日。時刻は午前0時。僕は今ニュージーランド北島に位置するタウポ湖畔の地面に寝そべりながら、南半球の澄んだ夜空に広がる満天の星空を眺めている。深夜の静寂さと星空は、自分という存在を吸い込みそうで、それに抗うかのように僕は過去の記憶を思い返す。時折冷たい風が吹く。深夜の時間帯と体の震えは、懐かしさを伴って長くそして濃密であった部活人生を思い起こさせる。

 

一年生。

長かった浪人生活を終えて晴れて入学したものの、コロナ禍の影響を受けた希薄な人間関係とオンラインによる授業は期待した大学生活とは大きく異なっていた。そんな中、遊び感覚でアイスホッケー部の練習に行った。大半の部員が、深夜に氷上で行うアイスホッケーというスポーツに魅了されて入ると思うが、僕の入部の決め手は先輩達のイキイキとした表情だった。自分と年齢の変わらない同じ大学の人間が夢中に汗だくになりながら熱量を持ってやっている姿が純粋にカッコよかったし、羨ましかった。当時新歓代表で高校の先輩だった大森さんは、まさしくスターであった。

筑波戦の竹本のpsを見て、興奮冷めない間に入部するという旨のLINEをうった。

今思えば深夜だったり体育会を4年やる覚悟だったりを全く考えずに決断したなぁと思う。

とにかく試合に出てあの熱量を体感したという気持ちが先行していたので、競争倍率が低くて1番試合に出れそうだなと思ったGKをやることにした。幸か不幸か同期内で全くやりたい人がいなかったのであっさり決まった。

案外簡単にできるんじゃないかと楽観視してたが、練習が始まると全くと言っていいほど何もできないことに気づき唖然とした。

防具をつけた状態では移動することもできなかったし、先輩達のシュートをただ立って傍観するのが精一杯だった。

それでも始めたてのスポーツはやればやるだけ上達したし、なによりも藤田カーでのくだらない話で盛り上がる車内はとても楽しかった。

(藤田さん1年間送ってくれてありがとうございました。)

同期もアメリカ帰りの富山県知らない奴だったり、突然ロシア語でLINEしてくる天才に、名門校生徒会長イケメンとなかなか個性豊かなメンツで面白かった。

何より川口と東伏見のフリスケ行ってもがいたり、面倒見のいい増沢パイセンに敬語を使いながらスケーティングを教わったのはいい思い出である。

二年生。

松井さんが主将となり、僕ら一年生も正式に練習メニューに参加するようになると上手くなりたいという欲求が特に強くなった。

元々勉強モチベは低かったし、免許も取ったこともあってホッケーに生活が支配されるライフスタイルへの移行は一瞬だった。

深夜にホッケーして、すき家に行って、昼過ぎまで寝て、ビデミして、昼寝して、陸トレor氷上に行く怠惰生活。学費を払ってもらっている親には申し訳ないが、主観的には悩みも一切なく本当に幸せな時代だった。

一個下の車が同じスンミンにはよくこの生活をバカにされたが笑

ホッケー面でも単位はポロポロこぼしたが、パックは徐々に拾えるようになってきた。

2年の夏前くらいからそれまでは全く歯が立たなかった松井さんや竹本といった経験者プレイヤー相手にも10本に1本くらいはいい手応えを掴めるようになってきて、心からホッケーを部活を楽しんでいた。

夏合宿。部活人生でも本当に楽しかった思い出である。4年間の部活のレベルを考えてもあんなにもハイレベルなチームでやれたことは本当に恵まれたことであった。

鳥取中戦で人のホッケーのプレーミスで笑ったことないと言ってた中川さんを笑わせられたのは本望である。

公式戦に出場することはなかったが、成長と笑いに包まれた最高のワンシーズンだった。

仲良くしてくださった四年生の先輩が抜けるのはとても悲しかった。

岸本さん、2年間本当にありがとうございました。そして引退してからも気にかけてくださってありがとうございました。

ずっと先輩として正GKとして僕の目標として立ちはだかってくれていたからこそ2年間モチベーションを切らすことなくのめりこめたと思います。

三年生。

中村さんが主将となり、チームは最強世代が抜けて大きく変わろうとしていた。しかし、僕個人としてはやっと正GKとして試合に出れるようになり不安というよりも念願の試合に出れる興奮の方が勝っていた。

1月から3月は春から始まる春大会に向けてホッケーに全てを捧げていた。

岩手合宿も懐かしい。

三年生で出場した初めての公式戦は準優勝で終わった。初めての公式戦は、結果にこそ悲観したもののやっとフルで出れた試合は本当に楽しかった。失点したらいけない緊張感と止めた時のベンチや客席から聞こえる歓声はまともに部活やスポーツをしてこなかった自分には全て特別なものだった。

夏合宿。馬場さんが毎練習乗って教えてくださった。今まで指導者の方に習うことはほぼなかったので基礎から応用まで習える環境にワクワクしていた。着実に上手くなってるような気がしていた。

無能な自分が毎遠征なんとか無事に終わらせられてたのは小笠原さんをはじめとするヴィラの皆様のおかげです。東大アイスホッケー部に愛情を注いでくださり、ありがとうございます。

個人としても小笠原さん、試合終わりに連絡してくださりありがとうございました。毎回励みになっていました。

秋大会。悲惨だった。上智、駒沢、筑波に3連敗。上智戦負けた後のロッカールームで中村さんが1人で泣いていた姿は鮮明に覚えている。

悔しさよりも申し訳なさが勝った試合はこれが初めてだった。

大一番でゴールを守りきれない不甲斐なさと勝ちに繋げられない自分の能力不足さにホッケーをやり続けることに疑問を持つようになったのはこの時くらいからである。

そんな中で迎えた七帝戦。全勝優勝。今シーズン初タイトル。自身としても試合に出てつかんだ初タイトルは素直に嬉しかったし、最小失点であったことも少し3年間の努力が報われた気がして嬉しかった。

新たな楽しさを知り、同時に多くの挫折も知るそんなワンシーズンだった。

 

四年生。

執行代、最高学年としての責任。同期の顔つきは明らかに変わっていて、一月の練習からその変化はひしひしと感じていた。

チームとしても久保コーチが就任し大きく変わろうとしていた。

けれどそんな同期とは違って僕だけはそうした自覚は芽生えずにいた。

現実的で、社会的有用性の高い他のことに時間や労力を割いた方が良いのではないかという疑念が常にまとわりついていた。

最後に残された学生時代の自由な1年間を自分の視野や世界観を広げたい、なにか新しいことを最後に経験してみたいという欲求もあった。

1月は江戸川の深夜練の前に、竹本やなおきとユーロスポルトで練習してファミレスで試験勉強して、2540氷上というサイクルを繰り返していた。

この時はホッケーや部活から離れたい気持ちを唯一救えるのは技術の向上なのではないかと信じてもがいていた。

色々な葛藤や雑念が生じる中でもパックを止めてる時だけは全てを忘れることができたのもこのサイクルにした理由なのかもしれない。

しかし、現実は甘くなく爆発的な技術向上も生まれず、ホッケーから離れた。

正直、離れた当初は開放感に満ちていた。

2年前に感じていた楽しさはもう過去の遺産だった。

この時期に連絡をくれたり、会いにきてくれた先輩、同期、後輩には感謝しかありません。

部員それぞれの部活をやり続けることへの軸や正義を聞いた後には揺れ動くことも多々ありました。

この時期を唯一肯定できる点があるとするならば、みんなの熱意に触れられたことです。

なおきが勝つためにチームのことをすごく考えていたり、川口が出場できない期間にもがいてた時の価値観だったり、増沢に自分の感情を共感してもらえたり、、、

最終的には戻ることを決意しました。

最終的にどんな終わり方でもいいからやり遂げたいという思いが強かったです。戻りたいと思えるほどに、僕の大学生活における東大アイスホッケー部の存在は本当に大きいものだったのだと思います。

そこからは、江川と間宮と毎日筋トレをする日課をつけたり、増田という新たな出会いがあったり、、

戻ってからも部員各々の思いに触れることがほんとに多くありました。

沼田が本気でスタメンを取りに行こうとしていたり、原が真面目すぎるがゆえに悩んでたり、なにも考えてなさそうな丘が繊細ゆえに考えてたり。そういう後輩達の純粋で熱い気持ちによく触発されていました。

林は最後までうまかったです笑 守備で競り勝つ強い東大の主軸になってください!

秋リーグ、入れ替え戦。ベンチから見る同期の活躍は素直にかっこよかったです。4年間やり続けることは簡単じゃないし、試合で活躍することはなお難しい。

特に未経験初めの川口、間宮、木村、増沢が良いプレーをした時は一際感動しました。

自分がなれなかった背中で、プレーで見せる頼もしい先輩を氷上で堂々とやっていて。

竹本、なおき、金森は経験者プレイヤーとして何度も勝利に導いて改めて偉大さを感じました。入れ替え戦まで今年行けたのは3人の得点力のおかげでしょう。

七帝戦、インカレ関大戦とこんな自分にも最後プレーする機会を与えてくれたことに感謝しかありません。

北大戦、勝ちたかったですね。最後まで競る試合で勝たせられるキーパーになれませんでした。

そんなラストシーズンでした。

 

気がつくと夜空はうっすらと明け始めていて、東の空から太陽が昇ろうとしていた。

なにか長い物語が一つ終焉したかのようである。

もう一生見ることのできないような星空のような煌めきさを伴った記憶。

それが僕の4年間の記憶でした。

 

4年間の部活人生、そしてアイスホッケーを通して自分と関わってくださった皆様本当にお世話になりました。

人間関係が希薄化しつつある現代社会でこんなにも人の温かさだったり、期待や優しさに触れることができたのは間違いなく部活に所属したからだと思います。

精神的に未熟で、情けない自分ですが、4年間でいただいた恩を、部や他者や社会に還元できるような成熟した人間になりたいです。

なかなか言うこともないので、最後に同期に。

まずは4年間一緒にホッケーやれて感謝しかないです。

個性豊かで、珍獣揃いだけどホッケーや部活にとにかく熱意を持っていて一貫して努力できる人達と最後までやれたのが誇りです。

木村

まず主将として1年間お疲れ様。

未経験で主将をやるには相当のプレッシャーと覚悟があったのかなぁと。僕には絶対つとまりません笑

1番印象に残ってるのは上智戦で急遽外されて、ベンチで相当悔しそうな顔していたのに、ロッカールームに戻ると主将としてフォアザチームを徹底していつものように力強く鼓舞していたこと。

多分この切り替えができるのは同期で木村だけだなぁと。木村が主将でよかった。

たくさん一緒に守備できて楽しかった。

金森

浪人時代から同じ塾でそう思うと連続的な奇跡的な出会いだな。

士気をあげたりチームを盛り上げたり、ゴールを決めたらカメラにポーズ取ったり、チームの盛り上げ隊長として欠かせなかったなぁと。

ペナボにぶち込まれて、キルで失点したら申し訳なさそうに来てくれるのも好きでしたねー

間宮

2年で入部してくる未経験なんてなかなか変わってるやつもいるんだなぁと思ったのが第一印象。入りたての時は、止めて煽ってたのが懐かしい。上昇志向が高くて、人付き合いがうまくて一瞬でチームに溶け込んで、主人公の間宮に憧れましたねぇ。特に上智戦の同点ゴールには痺れました。

増沢

気がついたらタメ口になっていて、気がついたら同期になっていた。

増沢のぶっ飛んだ行動と発言にたくさん笑わせてもらいました。

部外でもたくさん話しましたね、普段はほとんどなに言ってるかわからないけど増沢の根底にある部活への熱い気持ちを最後の年は特に感じました。

これからも笑わしてください。

なおき

最初東伏見のフリスケに行って、「俺全然できないんで」って謙遜しまくった後にスイスイ滑って腹が立ったのを覚えています。

普段はニヤニヤ下ネタ言って喜んでるのに、氷上では誰よりも熱くプレーするし、興味ないようで部員一人一人に愛情を持っているなぁとラストシーズン特に感じました。

自分が悩んでた時に何回も会いにきて話を聞いてくれてありがとう。

一年生の時から最後まで氷上限定のファンでした。

川口

陸トレで顔真っ赤にしてぶっ倒れて、突然英語の大喜利を始めるぶっ飛んだやつが川口でした。

よく2人で車に乗って深夜練に行ったのは思い出です。

3年の時なかなか出れないで、悩んでたいたのにも関わらず黙々とビジターに行きラストイヤーしっかりと結果を出したこと1選手として本当に尊敬してます。

竹本

入部したきっかけでした。ずっと同期のエースで、竹本を完封できるようなGKになりたいというのが一個目標でした。

未経験プレイヤーだからと言って甘やかさず、じゃんじゃん要求するからこそその要求値に応えたいという思いがモチベーションの一つでもあった。

ユーロスポルトでボコボコにされたのもいい思い出です。練習付き合ってくれてありがとう。

のりこ

4年間スタッフお疲れ様。

のりこはいつも冷静でよく周りが見えるなぁといつも思ってました。

後、たまにズバッと意見を言うところも男気あって好きでした。

何回か車一緒だったの懐かしいです。

けい

4年間スタッフお疲れ様。

4年間スタッフをやり遂げることは4年間プレイヤーを完遂することより遥かに偉業だと思ってます。

練習でも試合でもけいの声はよく響いてました。懐かしいです。

 

たくさんの人のおかげで、今こうして氷上の追憶を書けています。

悔いやタラレバは数えきれないほどありますが、言い表し難い清々しさのようなものも感じています。

自分でもこんなにも長文になったことに驚いてます。

最後まで読んでくださりありがとうございました。