氷上の追憶2018 VOL.11 MG 島津典子

マネージャー 島津典子


 

「マネージャーデビュー」を果たす大学生って、意外と多いんじゃないかと思う。

中学生の頃はマネージャーというもの自体馴染みがなかった気がするし、高校生の頃だってサッカー部、バスケ部、野球部くらいにしかマネージャーはいなくて、いても1人か2人程度だった記憶があるけれど、大学では新歓でもらうビラの半分くらいがマネージャー募集だったような気がする。かくいう私も大学生でマネージャーデビューを果たしたうちの1人だった。

アイスホッケーを見たのは新歓が初めてで、ルールも知らない。スケートすらしたことがない。防具の付け方も分からなければ、ライトハンドとレフトハンドがどっちがどっちかすら分からない。そんな状態にも関わらず、初めて見たアイスホッケーに惚れ込み、素敵な先輩方に魅力を感じて、マネージャーとしてのアイスホッケー人生が始まった。

初めてのスポーツ、慣れないマネージャー業。

入部したての頃はとにかく必死で、毎日たくさんの授業と深夜練習と陸トレをこなして、先輩方についていくだけでやっとの毎日だった。

それでもグローブを縫ったり、防具を直しながら、指を出す場所や防具の作りを知ったり、手に入れたばかりのIDカードで試合を見に行っては、あれがフォアチェックっていうものかなとか、リムってこれのことかなって答え合わせをしたり、なにより、ホッケーを始めたての同期が少しずつ上手になっていく様子を見守れたり、一つ一つが楽しくて楽しくて仕方がなくて、キラキラしていた。

この時から、よくプレイヤーを1番近くで見て支えられるのはスタッフだとか言われているけれど、逆にマネージャーを1番近くで見ていて意見を出せるのもプレイヤーだと感じていた。プレイヤーと近い立場でいればいるほど、たくさんのフィードバックがもらえる気がした。欲しいビデオのアングル、氷上中にチェックしておいてほしい姿勢、見てみたいデータ、タイミングがあった笛。プレイヤーのフィードバックがあって、マネージャーが努力を続ければ、プレイヤーの理想は全て実現できる気がした。

大したことないマイナーチェンジにも気付いてもらえた。同期に至っては言いすぎなんじゃないかと思うくらい、たくさんの意見をくれた。でもとてもありがたかったし、マネージャーの仕事がプレイヤーの成長に繋がり、勝利に貢献できると思わせてくれるチームだった。

私は”プレイヤーと近いマネージャー”を理想に掲げた。

 

 

3年生になり、部の体制が大きく変わった。3人まで減ったマネージャーも新たに4人、トレーナーとしても2人入部してくれた。スタッフは総勢9名になった。

この時期、”マネージャーの仕事なんて誰でも出来る。” “そんなことやってたなんて知らなかった。” “仕事をしていても知られなければ意味がない。”  “そんな大事なこと、マネージャーには任せられない。” そんな言葉を聞くようになった。

仕事を通してプレイヤーに、部の勝利に貢献しているつもりになっていたけれど、実際はそんなことなくて、それまでは先輩マネージャーの方々やプレイヤーがそう思わせてくださっていただけだった。蚊帳の内側に入れてくださっていただけだったのだと、自分で得たものではなくて与えられたものだったのだと気付いてしまった。

この部では、マネージャーは氷上練習=全参加、陸トレ=シフト制という形を取っている。

同時期、スタッフの人数が増えたことで、今までほとんど参加していた陸トレの参加頻度がかなり落ちた。

もともと陸トレは、氷上練習よりもさらに距離が近くて好きだった。

真夏に蛇口とグラウンドを往復し続けて水を汲んだ時は、私まで熱中症になるんじゃないかなと思ったけど、ポカリが飲みたくなるプレイヤーの気持ちを少しだけ思い出した気がした。

陸トレで久禮を皮切りに鼻水をかみたがる人が増えれば、冬の訪れを感じると共に、鼻水ずるずるの人を覚えては氷上練習の最中でもティッシュを差し出せるように気にかけようと思った。

この間氷上練習でした怪我は大丈夫かな、もう痛まないかな。プレイヤーの状態を改めてじっくりと観察できる場でもある陸トレは、時間に限りがある氷上練習の質をさらに高めるためには不可欠な場だと感じていた。

陸トレの参加頻度が減ったことで、プレイヤーと一緒にいる時間が減り、知らない部活の時間が増えた。マネージャーはシフト制だからいいよね、とプレイヤーに言われる度に、突然蚊帳の外に突き放されたような感覚になった。知らないことが増えていくことが怖かったし、急に部外者になったような気分だった。

仕事はさらに突き詰めたい。けれど、どう突き詰めていけばよいのか分からない。プレイヤーから何を求められているのか、何が足りないのか。

案をもらうだけではいけないと思った。自分で新たなデータをとって、いくつもいくつも共有した。フィードバックどころか、見てくれる人はほとんどいなかった。

そもそも本当に仕事を突き詰めることが求められているのか。どんなマネージャーを目指したらよいのか、分からなくなった。

自分の考えが浅はかだったのだと思う。

“プレイヤーに近いマネージャー”という理想像を、一緒にいる時間だけで定義しようとしていたのだから。だから、陸トレの参加頻度が減った、たったそれだけのことでぐらついてしまった。

プレイヤーからなんと言われようと、自分が部に貢献出来ていると自信をもって言えるものがあれば、理想像がぐらつくことなんてなかったのだから。

 

 

それからはずっと、どんなマネージャーを目指すべきなのか、どんなマネージャーが求められているのかを改めて考える日々が続いた。誰になにを言われてもぐらつかない、4年間部活をやり遂げるための道標が欲しいと思った。

氷上練習の後は毎回始発待ちだったから、文字通り一晩中考えていた日ばかりだった。それでも納得出来る答えは見つからなかった。

プライドを持つこと。前を向くこと。マネージャーだからこそ熱くいること。自分の仕事に誇りを持つこと。

どれも部のことを考えて出た結論なら、なにも間違っていないと思った。

釧路でたくさんお世話になった、小笠原さん。小笠原さんのように底なしに大きな人になりたかった。

七帝戦の最中に上級生がみんな東京に帰ってしまって、心の底では諦めていた人もいたのかもしれないけど、それでも私たちの前では戦い続けてくれたいよくと3年生のみんなと遠藤のように、どんな時でもひたむきでありたかった。

みきさんやもえさんのように、見守ることが出来るマネージャーになりたかったし、えりさんやれなさんのように揺るがない強さを持ったマネージャーにもなりたかった。

そうなろうと決めても完全に他人を真似ることは難しくて、上手くいかなくて、自分と他人を比べて羨ましくなってしまう自分が悲しくなったし、私は私以上にはなれないと卑屈になったりもした。

自分がプレイヤーのために、部のために良いと思うことが、必ずしもプレイヤーにとって良いことであるかといわれると、そうではない。これも当たり前ではあるけれど、難しいことだと改めて感じた。

理想のマネージャーについては考えれば考える程、本当に正解が出なかった。

最後に私が目指したのは、仕事に対しても、人間に対しても、一つ一つ丁寧に向き合うマネージャーだった。

 

 

卒部した今も、どんなマネージャーが正解だったのかという問いに対し、ハッキリとした答えは見つからないままでいる。最後に目指したマネージャーの形が、正しかったのかは分からない。

それでもなんとなくではなくて、どんなマネージャーが正解なのかという問いを通して、たくさん悩んで、考えて、自分の嫌な部分も含めて自分自身に正面から向き合った時間が、私の財産になったと思う。

4年間も賭けて得るようなものではなかったのかもしれない。それでも、言い過ぎかもしれないけれど、いろんな人の影響を受けながら自分のこれからの人生の生き方を見つけ出していったような気がした。

 

 

手探りだったけど、最後まで正解なのか悩み続けながらも、私なりにみんなのためを思って尽くした4年間でした。

勝ち負けが全てではないけれど、あの時の勝利に私も少しでも貢献出来ていたら、心の底から嬉しく思います。

200番なんてださい背番号にせんかったらよかったとか、そんな小さなことまで含めたら後悔していることばかりです。最後の2年間については特に、私が力不足でなければもっと上手にやれたことがたくさんあったな、と思い返しては1人で後悔してしまいます。たぶん、これからも深夜眠れない時にアイスホッケー部のことを思い出しては後悔するんだと思います。

でも、この部活に入ったことと4年間続けたことは全く後悔していません

3年前、この部でマネージャーデビューをして本当に良かったです。

そしてそれは、最後まで多かれ少なかれ私に関わってくださった方々のおかげです。本当にありがとうございました。

今後ともよろしくお願いいたします。

島津 典子

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