氷上の追憶2018 VOL.10 #22 伊与久雅博

早稲田 GK#22 伊与久雅博


 

 
「大学生活をもう一度やり直せるとしたら、またアイスホッケー部に入るだろうか?」
多分、みんな多かれ少なかれそんなことを考える時期だと思うから。
これについて、書こうかなと思います。
 
思えば、振られてばっかりの大学四年間だった。
高校の時に付き合っていた人は、向こうが大学で九州に行って遠距離になるや否や謎の二浪の男に持っていかれる。(この時点で「九州=修羅の国」のイメージが植え付けられ、四年時の九州開催七帝戦が怖くなる)
一年生の終わりからの人には、結局三年の北海道の七帝へ発つ前日に愛想をつかされる。その晩遅くまで寝れずに飛行機を寝過ごしてしまい、急いで取った便の隣の席のタイ人に二時間弱英語で絡まれる。
(新婚旅行で札幌に行くという彼にめちゃめちゃ慰められて、タイでは日本人はモテるから大丈夫という謎のフォローをされる。久々に写真見たら、僕の溺愛する泉山選手にちょっと似てる気がしてきました。皆さん検証してみてください)
 
 
 
 
ごちゃごちゃわちゃわちゃしつつ、恥の多い大学生活を送ってきたもので、やり直したいタイミングというのがたくさんある。
そんな中で、部活という選択は、どんなものだったろうか。
 
まず、一月から考えていたことについて話そう。
 
この部は、自分たちが入ってきた時は小さな部だった。
試合に出れるから、という理由で入部を決めること自体は全くかっこ悪いとは思わない。冷静な分析だと思う。
ただ、それがどこか締まりのない、緊張感のないチームを作り上げていた。
 
そもそも大学アイスホッケーという競技の構造がそういうものなのかもしれない。
経験者と未経験者の実力差が圧倒的な競技において、二部以下では未経験者が主体のチームがほとんどだ。スケートは慣れがものを言うから、経験年数がそのまま実力差になるという素直な予測は決して的外れではない。その枠に収まらなかった選手は自分の知る範囲では、四年間でも片手で収まってしまう。
人数だって少ないからレギュラー争いなんてはなから縁がないチームも多い。三年や四年になったら、だいたい出れてしまうのだ。
 
さらにいうと、実は、アイスホッケーってサークルで始めるよりもずっと部活で始める方が簡単だ。OBの方々の支援や貸し防具が充実しているということはさもありなん(当たり前ではないことです。改めて感謝を申し上げさせていただきます)、サークルには概ね部活よりもたくさんの経験者がいるからだ。
二年生の時に、大和の早稲田高校の練習に乗った。そこに、ポーラーに入った早稲田高校の先輩(未経験で大学始めだと聞いて驚いた。シュートがべらぼうにはやかった)とその後輩の自分の同期に当たる未経験のプレイヤーが練習に来ていた。
彼らは、リンク脇のベンチで同期の経験者や先輩を倒してレギュラーを取るためにどうしたらいいかということを本気で話し合っていた。
経験者や上級生を活かすとか見習うではなく、殺してやろう奪ってやろうというのは、(自分の周りではになってしまうけれど)ぬるま湯の東大では聞いたことがなかった。電気風呂のようにピリピリと心のひび割れた部分に沁みるものの、どうにも手を伸ばしてみたくなるような、そんな会話だった。
 
いつのまにか人数が多くなっていた。櫻井とほとんど同じだけ、主力でやってきた未経験の四年生がたくさんいるこの代ならば変われると思った。
 
マネージャーやトレーナーは、存在価値を自分で見つけることを迫られる環境で息苦しそうだった。
リンクの貸切が深夜だから、氷上練習の際には誰かが送らなくてはいけない。
真面目に部に取り組んでいる人ほど、自分がプレイヤーの時間を奪って送られるに値する仕事をしているか、ということに立ち止まる。そして、執行代に近づくほどプレイヤーはそれに鈍感だ。
 
リスペクトという言葉の語源は「re(二度)+spect(見る)」だと言う。二度見ることによって「軽く見ない」という意味なのだそうだ。
これを援用するならば、この部では特にプレイヤーとスタッフの間でお互いを「一回も見合わない」ことすら横行しているように思えた。
人は人、自分は自分という姿勢が格好いいと感じているのかもしれないという節のある人間もいた。自分も含めて。
そうした状況が辛い思いをする構成員を作り出しているように見えた。
 
うちの部では基本的に、プレイヤーは東大、マネージャーはインカレという形を取っていた。
そこに、東大の子たちが二人入ってきて、しかも上記の氷上練習について週一の参加で良いという特別ルールが賦与されたトレーナーという役職が生まれた。今のOB一年目が三年生の時だ。
彼女たちが悪いわけでは決してない。でも、バックグラウンドがあまりにも違う。すれ違いが起きないわけがなかった。
新体制を始めるにあたって、スタッフへのヒアリングを実施した。
驚いたのが、一人や二人ではない子の口から「自分が辞めれば解決するのではないか?」と言葉が出てくることだった。この部は本当にどうなってるんだろうと思った。
 
みんなに主体性を持って、居場所を獲得してもらいたいと真剣に願った。
高橋が追憶に書いていたけれど、自分が誇りに思えるような仕事を持つことは存在意義として一番わかりやすいと思うから、色々なことを考えて実際に行動もした。
感情や過去やプライドや自己否定が渦巻いていたスタッフのあの状況を、どうにかと、思った。
あえて書きはしないけれど、できる仕事を増やそうと思って、たくさんの人にお世話になって、結果としてたくさんの人の期待を裏切る結果になってしまったと思う。
多分「なんとなくひどく辛い」彼女たちにとって、それは解決策に見えなかったんだろう。
歯がゆかった。どうしたらうまくいくのか、考えて考えてもわからなかった。
 
スタッフに強く思い入れを持ったのは、自分自身が存在意義を常に脅かされていたからだと、気付いていた。
だから、せめてチームで居場所を獲得する自分の背中を見せようと思った。
インターン先で、明治のサッカー部の控えの子と話す機会があった。その大学に入ることを決めたのは控えの一番下手な選手が一番頑張るからだ、と言っていた。お互いをリスペクトし合って、全員一丸で全国制覇を目指しているのだそうだ。自分もそんなチームの一員でいたいと思った。
 
二月の終わりには、明治学院の合宿に参加させていただいた。うちの代で行なったリンクサイドミーティングは、その時の明学を真似したものである。
ついこの間敗れたばかりだったのだけれど、いいチームだと思った。シンプルな表現にはなるが、声を出すし、よく走る。一緒にいた中央の選手にも我々にも分け隔てなく接してくれる。四年間で一番楽しかった合宿はあそこかもしれないな、というくらい本当に楽しかった。(でも部屋は寒かったね笑 みのむらとおおぞの、カイロありがとうでした)
 
直接、東大の春合宿に向かった後は、1日だけオフを挟んで、OBの高木さんに紹介していただいた釧路のゴーリーコーチの元へ伺った。
部のオフを利用して、神奈川大学の合宿に参加させていただくという貴重な機会をいただいたのだ。
 
自分の甘さを、ぬるさを、人間としての未熟さをきちんと言葉で否定される日々だった。
何にも出来ない自分が悲しくなった。そんな気持ちでいると余計に動けなくて、そのキャンプの中でひどく足を引っ張ってしまった。本当に申し訳ありませんでした。
多分、ほとんど釧路で笑わなかった。自分にはそんな人権すらないという気持ちに押し潰されそうだった。
 
意識を強く持つ。やる前にイメージを持って仮説を立てる。実験しながら楽しく練習する。
言葉にすると簡単なことが、自分には上手に出来ない。
 
これじゃ、来ても来なくても結果は変わらないよ、と最終日の前の夜にお言葉をいただいた。
その夜はほとんど寝なかった。今まで自分が決めつけていた集中力の限界を取っ払って、ギリギリまで真剣に取り組んでみると確かに見える景色は変わっていた。
帰ってから継続しないと意味がないというのは、わかりきっていた。
東京に帰ってからの練習も、ビデオに撮ってコーチに送ると思うと一人身が引き締まる思いだった。
 
それでも、春大会は去年と同じ状況であった。防具は着る。帯氷はしない。何点取ったら交代、っていう約束も気まぐれにされたりされなかったりでお荷物とみなされていることが明らかだ。
そして、結果を出さなければと走り続けてきた自分は、同期ゴーリーがいるということが決まってから目を背けてきた事実に直面した。
 
「大して上手くもないのに下級生の出場機会を奪う奴は、存在価値がないどころか有害だ」
 
折しも、topとsecondという制度が本格的に始まる。これまで、主力の上級生と育成の下級生というぼんやりとした分け方にのっとって決まっていた試合のメンバーが、もっと明確に決まった。
要は、「1.5軍」の居場所がなくなったのだ。
secondの試合の出方を相談しようと小野塚に言われるたびに、向こうは絶対にそんなことを思っていないとわかっていながらも退部勧告を受けているような気持ちになった。それについて、誰にも話さなかった。
 
正直、ビジターに行くたびに、自分がもしこのチームにいれたらということを考えた。
ゴーリーになりたい人がなったわけではないチームだって多い。三代くらいゴーリーがいないチームもある。
東大は、同期に1Bならスタメン張っててもおかしくないようなすごいうまい奴がいて、次の世代もきちんと育っている。
何より、自分に居場所をくれたチームに迷惑をかけたくない。
気づいた時から引退の日まで、一度だって退部が頭をよぎらなかった日は無かった。
 
就職活動中、とある面接で、「競技の中では結果を残せていないのに、リーダーシップを発揮しようと心がけているとはどういうことですか?」と聞かれた。
「リーダーシップと競技の能力は別の素質であるし、実際にその機能を分離しているチームも今増えている。自分は、自分にしかない目線でチームを引っ張っていきたい」という風に答えた。満足げに頷いてくれた面接官の前で、自分はどんな表情をしていただろうか。
言葉に嘘はなかった。本心で思っていたからそれだけ一層、自分は競技を諦めてはいけない、結果を残さなくてはいけないという思いに駆られていた。
 
練習の帰り道、馬場の坂の途中で桜木と別れた後、一人になるとたまに気が抜けて泣いていた。
勝っても負けても辛いは辛いのだけれど、特に試合にチームが勝つと、本当に自分の居場所がないような気持ちになって、消えるように去っていた。
誰と話すのも嫌な時があった。部員と顔を合わせる資格がないという気持ちにもなった。
あんなに楽しみにして大切にしていた、コーチに動画を送るということすらできなくなってしまった。
 
夏合宿、最終日に不運な衝突で脳震盪になった。
救急車で運ばれながら、いま寝たら死ぬんだろうなと思うタイミングがあった。
暗闇に意識を任せてしまうと、そのまま気を失った。看護婦の方に肩を叩かれて目が覚めた。1分弱、呼吸が止まっていたのだという。
その日のうちに東京まで飛んだものの、一人になるとクラクラして最寄り駅までたどり着くことができなかった。乗り換えがわからなくて、気づいたら鎌ヶ谷にいた。
医者にはセカンドインパクトの危険性はすぐにはなくならない、と言われた。
やめるなら今だよ、と誰かに言われている気がした。というか、割といろんな人に言われた。
 
秋大会が始まった。
初戦の東医の直前の練習で、清水に、同じレベルなら下級生を優先したいから、ベンチに入ってもらうのを松永にしたいけれど、どう思うかということを言われた。
自分ではずっと考えていたことなんだけれど、人から言われるとやっぱりこたえた。
 
都市大戦の日の朝に、思い出作りになってしまうのだったら、下級生に迷惑はかけられないし、もう俺は入らなくていいということを伝えた。
その時に、退部の意志も初めて言葉にして伝えた。
奇しくもその日が最初にして最後のリーグ戦の出場だった。今までの「●点差」という約束が初めて達成されてしまったのだ。
完全に東大がおしている試合展開の中、最後の最後に一失点をした。結果には影響は及ぼさなかったけれど、自分の心を折るには十分な一点だった。
と、いうことで退部しました、というシナリオで自分の部活人生は終わるはずだった。
 
悩んでいる間に、チームは転換期を迎えた。昇格の可能性が潰えたのだ。
一番近くの部外者として感じたのは、去年とははっきりと温度が違うということだ。
降格をすることと昇格ができないことの間にどんな差異があるのか、実際にその場に立ち会ったわけではない自分にはわからないけれど、今年はどこか冷静だった。
 
チームは、話し合いの末、下級生育成へと舵を切ることになった。
 
目標を失った同期は、地に足がついていないようだった。
大和の最後の氷上の日、オフにアスレチックに遊びに行った何人かの同期が、怪我をしそうだったと楽しそうに話しているのを聞いた時、それを聞いた下級生のことを思うといたたまれない気持ちになった。リーグ戦だって続いている。七帝だってある。
 
でも、同時に仕方がないことだとも思った。みんなには、目標があった。それが、引退までまだまだある状況で取り上げられてしまったのだ。
四年生として、模範を見せられるのは、実はずっとその状況にいた自分なのかもしれない。
もう一踏ん張り、頑張ってみようと思った。
 
七帝戦に関して、自分は試合に出ないことを選んだ。
実は、直前に桜木が、みんなで折半して出れるように清水を説得しようと電話をくれていた。
嬉しかったけれど、一番近くにいた仲間にそう言ってもらえて、それだけで報われた気持ちになったから、その申し出を固辞した。
チームが下を育てることに舵を切ったのだから。
気は抜かない。最後まで、やけにもならない。七帝には二人を支える為に行く、と言って電話を切った。
 
このチームは苦手な人が多いけど、悔しさをしっかりと出すことは大切だ。
確かに、スマートじゃない。でも、そもそもここまで部活にしがみついてる時点でみんなそれなりだ。(褒め言葉だよ)
試合に勝った時、その場に立ちあうことができなかった人はチームに居場所がない。差し入れなんかもらってる場合じゃない。
そして、チームが勝った時こそ、控えが、君が練習をしなくてはいけない。いつか負けるこのチームを支えるために。
 
最後の七帝では、試合中はベンチで声をかけ、勝つとこっそり悔しそうに一人で引き上げ、負けると仲間のそばにいて、そして夜は自主練習に出かけた。
試合に出ようと思ったらおそらく出れたのだから、演技もあった。最後のあの短い期間だからできた、と今思うほど、体力的にも精神的にも辛かった。
少しでも、あの人がああしているのだからと思ってみんながやる気になるような、みんなを引き上げることができるようなそんな姿を見せることができただろうか。
 
京大戦は、その直後にあった、最後の公式戦だった。
桜木が、みんなが、真ん中まで0に抑えて、最高の形でバトンタッチをしてくれた。
痺れる試合だった。お互いにパワーキルがあるものの点が入らなかった。
パワー中にすり抜けてきた相手のブレイクアウェイをスケート靴の端っこで止めて、そのすぐ後に清水が点を決めてくれた。
試合残り1分だった。それをみんなで守り抜いて1−0。七帝3位の相手に勝利を得ることができた。
試合終了の瞬間、みんなが駆け寄ってきてくれた。自分はこの瞬間を一生忘れないと思った。今でも、書いていて、少し震えるくらい幸せだ。
 
 
 
 
 
こうして、現役生活が終わった。
 
努力という得体の知れないよくわからないものと不器用なりに精一杯向き合い続けた部活人生だった。
努力のベクトルが間違っているとか、まあいろんな言葉があるけれど、自分が一番いいなと思ったのは、NHKのプロフェッショナルで、プロレスラーの内藤選手が言っていた言葉だ。
 
「”諦めなければ夢は叶う”という言葉は嫌いだが、諦めなければ光は見えてくる」
 
諦めるタイミングは、何度もあった。
機会損失とかいう言葉がある。部活に費やす時間で他に何かできるのではないかと悩むことは誰にだってあるだろう。
それでも、きっと本当の暗闇でしか見えない光がある。その人にしか感じることができない暖かさがあると思う。
本当に最後の最後の瞬間に、光が見えたとき、諦めなくてよかったと思った。
 
もう一つだけ引用する。
重松清の「きみの友だち」という小説に、何をやってもうまくいかない男の子が出てくる。その子と、その子が憧れる同級生のお姉さんが一緒にグリコをしながら彼にかける言葉が印象的だ。
「どんどんパーで勝って進んでく子もいれば、たまにしか勝てないのにそれがグーの子もいる」
 
ゆっくりでもいいのだ。少しずつ前に進んでいる。
七帝で優勝した鎌田さんの代、二部復帰を決めた勝家さんの代、昭和に勝った輿石さんの代、そして京大戦に七帝のリベンジを果たせた清水の代。
それぞれ辛いことや悲しいことはあっただろうし、そのレベル感も違ってきてしまうけれど、真剣に向き合った事実に優劣などない、と思う。
そう思ったら自分のことも少し好きになれた。
 
期待や予想には届かなかったかもしれない。でも最後にみんなで報われてよかった。
 
 
 
 
 
最後になりますが、この場を借りて、お礼を言わせてください。
 
Criacaoの皆さん
一人一人が尊敬できる方ばかりで、そんな方々にオフィスに行くたびに最近どう?って聞いていただけることが嬉しかったです。
最後に、たくさん応援に来てくれてとっても嬉しかったです。これから残り少しの期間にはなってしまいますがどうぞよろしくお願いいたします。社会人になってからもよろしくお願いいたします。
 
村井さん
お会いするだけで元気になれました。村井さんに必要だと口に出していただけることが、自分の支えになりました。
ホッケーでもビジネスでも、自分の世界を大きく広げていただけました。お会いできたことは僕の大学生活の財産です。ありがとうございました。
 
越川くん
キャプテンシー溢れる人で対等に真剣に運営について話してくれたのが、くすぐったい気持ちになりながら嬉しかったです。
リク飯、いい形で継続できるようにあと少し頑張ろう。
 
ビジター先や東大に来て仲良くしてくれた皆さん
辞めることを考えた時、やまけんや法政の松井くん、中央の金子くんとまたホッケーしたいな、と思いました。
直樹さんのシュートもまだまだ受けたかったし、宮崎さんが帰国した時にやめてたら、またやろうといって下さった約束が果たせないと思いました。
牛窪さん、木場さん、東大に教えに来てくださりありがとうございました。どうぞ後輩のこともよろしくお願いいたします。
皆さんのおかげでホッケーってかっこいいなという思いを、上手くいかない時も、初めてこの競技を見たときみたいに持ち続けることができました。
 
総務の皆さん
べあさん。アメリカ遠征の時に、Bruinsのジムザックをありがとうございました。大切に使わせていただいています。今西さん、若杉さん、たくさん休んで迷惑をかけたのに優しく見守ってくださりありがとうございました。新体制になる時に、他の部のヒアリングでは他にもたくさんの先輩のお力をお借りしました。ありがとうございました。
同期の漆原、井上(森安)、近江くん、小野寺や才川や山之城、喜久川、菅谷。。。総務部屋に行くの結構好きでした。浮きがちな自分と仲良くしてくれてありがとうございました。
第二事業局の局長になってからは後輩にもたくさん迷惑をかけました。澁谷は全体的にはわけわかんないけれど、アイスホッケーに関する思いは本物のようでした。渉外のお仕事であっちこっち連れて歩いた池田はなんとも抜けていて、たまに会えると可愛くて元気をもらえました。この代もあと半分ですが、平野を中心に頑張ってください。応援してます。
 
石岡さん
たくさんお話を聞いてくださりありがとうございました。失礼を承知で申し上げますと、年の離れた兄のようで、いつも頼りにさせていただきました。またお話に伺わせてください。
 
小笠原さん
どうお礼を申し上げればいいかわかりません。本当に、本当にお世話になりました。
絶対に釧路に恩返しに伺います。後輩をどうぞよろしくお願いいたします。
 
 
 
 
 
佐々木さん 高木さん
情けない自分で、本当に申し訳ありませんでした。わけがわからなくなっていた自分の部活人生が、くっきりとしました。
今はまだ、最後まで戦うことができなかった自分のことが許せそうになく、直接連絡を差し上げる勇気がないままこうした場でのお礼となってしまったことをどうかご容赦ください。
この先もホッケーを続けたいと思うことができたのは、お二人に出会うことができたからです。
本当にありがとうございました。いつかまたお会いできたら、本当に嬉しいです。
 
ビジターに伺わせていただいた皆さん
たくさん、練習に参加させていただいてありがとうございました。
ゴーリー同士の繋がりは一生の財産です。
そして、特にたくさん参加させていただいた、獨協の長谷部、ポーラーのみんや、早稲田高校の石垣先生、海老江くん、江島くん、くまーずの方々。快く受け入れてくださりありがとうございました。
もし良かったら来年も乗せてください。
 
先輩の方々
まともに運動もしてこなかったような自分を新歓してくださり、居場所を与えていただきありがとうございました。
かっこいい皆さんは今でも憧れです。
どうかみなさんに、お会いした時に直接お礼を伝えさせてください。
 
後輩へ
たくさんいじってしまってごめんなさい。
次の四年は、北海道の七帝がやっぱり思い出です。あの時のみんなから見違えるように頼もしかった今年から、さらにステップアップした姿を来年見せてください。
 
松永。23って多分適当に選んだと思うけど、1+22=23だよね、実は笑
割合は全然桜木の方が大きいと思うんだけれど、”22”のいいところがもしあったら受け継いであげてください。来年、期待してるよ。
三年生、二年生は学年の枠を飛び越してやるんだという気概で、チームをどんどん突き上げていってください。
試合、楽しみにしてます。
 
 
 
 
同期
頼もしく、かっこよく、みんなと一緒で幸せな部活人生でした。
全員で悩んで考えて、踏み出す一歩を最後まで自分も一緒に踏めて良かったです。
もう久禮にyoutubeで見つけた地下芸人をラインして微妙なリアクションをもらったり、小野塚を筋トレ後プールに誘って振られたり、浅沼の骨盤をなぞったり、竹村のボトルを覗いたり、夢で櫻井とPSしてうなされたり、清水が控え室で流す音楽に突っ込んだり、涼と中澤と就活のストレスを銃弾に込めたり、さとかいに怒られたり、高橋に他己紹介の検閲食らったり、たむしゅんがんばしたり、駒場の一号館でトイレしてたら大西から今別れたと電話かかってきたり(ずっと前のことだけど)、そういったしょうもないこと一つ一つが自分の人生からなくなってしまいました。本当に寂しいです。
同期としても難しいポジションの僕を、必要としてくれて本当にありがとうございました。
九州で、西南学院大学に乗せていただいた時、七帝でラインズを吹いていたというキャプテンが、東大からは見ていてプライドを感じるという話をしてくれていました。
無限で無意味なようだった話し合いも、きっと意味がありました。清水、大西、快、ありがとう。お疲れ様でした。
 
島津。愚痴り合いながら、二人とも続けてこれて良かったね。福岡のビジター探してくれてありがとう。
桜木。君は、僕の親友です。
 
 
 
 
そして、家族。怪我や病気ばかりで心配かけました。応援してくれてありがとう。大学入学時には思いもしなかった、充実した大学生活を送ることができました。
そして、いつの間にか弟がホッケーを始めてしまいました。どうか皆さんのご支援を賜れればと思います。
 
OBOGの方々や、リンクのスタッフの方、合宿先の方々などたくさんお世話になりありがとうございました。
 
最初の質問に答えます。
何回時間が巻き戻っても、みんながもし良かったら、僕は東大のこのチームでまたゴーリーをしたいです。
少しの距離でも、前に進んだ日々が僕の誇りです。この仲間が僕の宝です。
素敵な場をありがとうございました。
 
今後とも、東京大学スケート部アイスホッケー部門をどうぞよろしくお願いいたします。
 
 
2019/1/11
伊与久 雅博

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