氷上の追憶2018 VOL.8 竹村雅之

麻布 学生コーチ 竹村雅之


 

「氷上の追憶」と聞いて思い浮かべるのは、毎年の4年生の後悔や反省、または喜びを表現した文章だろう。しかし、自分はあまり感情的になるタイプではなく、また感情に左右されるタイプではない。

もちろん今年の日医・学習戦、七帝の北海道戦や京大戦ではとても悔しい思いをしたのは覚えているし、最後の双青戦の京大戦で勝ってとてもうれしかったのも事実だ。

けれども自分の部活ってどういうものだった?と聞かれて、あの時嬉しかった、悔しかったっていう記憶があまりないというのが正直な感想である。この記事を書く前に何度も書き直し、没にしてきた原稿の中には一年から今までを振り返るという趣旨のものもあったが、途中でやめてしまった。一方、自分が考えていることのみをずらっと書き連ねた文章もあったけれど、あんまり読んでいて面白くなかった。

部活の集大成が4年だと言われるように、僕の集大成もやはり今年だったのだと思う。今年はみんなと違う選択をしたのだけれど、なぜその選択をしたのか、そして自分自身について、自分が理解している範囲で記しておこうと思う。

僕は今年「コーチ」だった。

自分の中で「コーチ」とは「選手に対して環境や情報、声掛けなどによって適切にアプローチし、その成長を支える」というものであったと思う。一応断っておきたいのが、今年自分は望んでその役割を果たそうと思ったということ。怪我の影響はきっかけ程度でしかないし、実力的に不十分で悔しながらもというわけではなかった。ではなぜ「プレイヤー」をやめ、「コーチ」になったのだろうか。

 

 

一つ大きな理由は、自分が何事に対してもとても客観的な人間だからだと思う。ものごとを客観的に事象のつながりとして見ていて、自分自身のことでさえも「ここにいる一人の人」としてしか見ていない節がある。

例え話として、誰かが試合で点を決める話をしよう。どんな選手でも自分が点を決めて、望みうるなら決勝点を決めてチームを勝利に導きたいと思うだろう

しかし自分はあまりそういうことに興味がない。パックは様々なプレイヤーと様々な偶然を経てシューターの元に届き、そしてシュートを打ってゴールが決まる。逆に言うとシューターだけでは絶対にゴールは決まらない。誰でも最後のシューターになりたがるが、実は大事なのはその前の前の前のプレイだったりもする。もしかしたらプレイでさえないかもしれない。

そういう意味でゴールは個人の貢献度の差こそあれ等しくチームのゴールだし、どの過程にいようが、皆正しく評価されるべきである。(そのため今年は色々な選手の色々なプレイにポジティブな評価をすることを心がけた。)

最終的にゴールにつながらなくても良いプレイは良いプレイで、一見まったく関係なさそうなプレイも得点につながっているのだ。自分が決めた点じゃなくても、自分がいなければ絶対に決まらなかった点がある。これは全員に対して言いたいが、事実だと思う。

今年のチーム、特にtop lineは点を取れた。今年GKであった桜木、伊与久のおかげも大きく、チームのスコアリングのスタンダードが向上したけれども、自分ではそれに対して一定の影響を与えられたと思っている。自分は「得点」という連続した事象による結果の一部であり、そういう意味で自分は今年点をとれたのだ。

ホッケーが好きで気を抜くとすぐホッケーの話をしてしまうのだが、少し話を戻そうと思う。なぜこんなに客観的なのだろうか。それは自分が「エゴ」をとても嫌っているからだと思う。

「エゴ」とは「自分の満足を第一に考えること」だと自分の中では定義している。

さっきの話で言うと「チームが勝つためではなく、自分が点を決めて満足したいから点を決める」という行動動機である。これがなぜダメかというと、そういう人は「得点しかできないから」である。得点につながる数々の細かいこと、タフにプレイしてパックを奪うこと、練習で他人に声をかけること、ハードにトレーニングすること、数々のとても重要だけど些細なことをさぼり、ただゴール前で待っているだけの人ばかりではチームは崩壊してしまう。これは逆にも言えて、ただ内側でセーフティーに守ったからと言って守備の役目は終わりというわけではないのだ。次は違う場所で違う役割を果たさなければならない。

チームの中でプレイする選手の目的は常に、良いプレイでチームを勝利に導こうとすることであるはずで、失敗を避けてレギュラーを外れないことや自分が満足するプレイをすることではない。

自分は、自分自身が傷つくのを恐れたり、自分の満足を追求して、やるべきことができなかったりするような人間になるのが嫌なのだ

しかし、自分の中にもエゴがある。

特に今年認識したのが、「選手をコントロールしたい」という感情だった。今年一番大きな仕事は一年生を育てることであったが、彼らにとってコーチの存在はホッケーにおいて絶対であったはずだ。自分の下す評価がチームにおける彼らの価値で、コーチは評価によって選手をコントロールできる。自分の中には目指すべきと思うホッケースタイルがあり、ある程度確立した理論があるが、選手たちをその「型」にはめないように気を付けていた。「自分のホッケースタイル、理論が正しくて、それを証明したい」いう欲があるのを知っていたからである。

そのため、今年一年生には細かいスキルやプレイは教えず、出来る限りホッケーにおける考え方の土台を作ることに集中していたように思う。新人戦で思い知ったが、選手はコーチの想像を超えて成長する時もあるし、期待していたプレイもしてくれない時もある。

自分がやるべきなのは何とかして自分の言うことを聞かせようとするのではなく、「成長を支える」だけだった。

とはいえ「エゴ」がすべて悪いわけではない。大西は自分で言うと「エゴの塊」らしいが十分プレイでチームに貢献していた。組織の目的において評価されない「エゴ」がだめなだけで、むしろそれぞれの「エゴ」でチームを適切に設計できるのならば、行動の原動力になる「エゴ」はあった方がいいはずだ。

そういう「エゴ」はきっと「モチベーション」と言うのだろう。

 

 

次に大きな理由は、自分の興味の対象が、「人はどのような基準で行動し、どうしたらそれらが変化するのか」にあるからだった。アイスホッケーに限らず、スポーツというのは色々な要素で出来ていて、選手にはそれぞれ苦手と得意があった。アドバイスを求められれば、出来るだけ根本的なところから、時にはあえて分かりにくく、「技術的」なことを教えたけれど、少しの例を除いて、選手の問題は解決しないことばかりだった。

「人間的成長無くして技術的成長なし。」

一年の時に当時の主将の鎌田さんが引用した野村監督の言葉で、結局自分の部活人生におけるメインテーマになった言葉だ。

さっきの話に少し戻ろう。みんな選手は得意不得意あり、それは今までの練習の成果である。ここで「練習」というのはそれぞれのメニュー以上に、それに取り組むための準備である課題設定やコンディショニング、知識の習得なども含めての概念だが、結局そういうところが個人の上達とプレイにおいて最も重要な位置を占めてくる。当たり前だけど、いい練習をしないといいプレイヤーになれない。

もちろん集団スポーツである以上、全員が同じスキルを持って同じようなプレイスタイルというわけにはいかないし、そういうチームが強いわけではない。ただ一方で「良いプレイヤー」になるために共通して必要な精神的資質が在るのも事実である。どんなスポーツでもだが、「高いスキルを持ち、賢く、タフにプレイし、チームに貢献する」プレイヤーが基本的にいいプレイヤーである。

そしてこのようなプレイヤーになるには日々の練習が最も大事であり、さらにそこで必要になってくるのは練習をおこなう選手の人間性なのである。もし仮にうまくならないのだとしたら、練習で技術的課題に向き合えない、「自分自身が課題」なのだ。

そういうわけで「人間的成長無くして技術的成長なし」なのである。

このテーマについては本当に色々考えて、一年生の指導でも心がけていたところだった。できるだけ端的に書いたが、もう少しこの考えを支える根拠もある。またどうやったら「人間的成長」できるかについての考えもあるし、少ない機会ではあったが伝えられる人には伝えたつもりである。

このような訳で、今年の一年生指導では彼らを人間として「成長」させることに力を注いだつもりではあった。ただ当たり前だが、「コーチ」としては素人もいいところなので、それが十分に達成されたかはわからないし、もし仮に達成されたとしても少し先のことになるだろう。さらにそれを自分の「成果」と呼ぶにはあまりにも小さい貢献度かもしれない。

それ以上に今年はコーチングに取り組む中で、自分の変化(成長と呼べるかはもう少し考えたい)に気づかされた年であった。本当に今年「コーチ」になって良かったと思う。

 

 

一つだけ、アドバイスがある。

「ホッケーを好きになり、愛せるように努力をすること。そして情熱をもって真摯に取り組むこと」

これがすべてだし、ホッケーから少し離れる自分自身に対するアドバイスでもある。

これから行うこと全てにこの姿勢で臨めるようにするためにも、ここに記そうと思う。

最後に、この部を支えて下さっているOBの皆さま、一年の頃からずっと関わってくださった先輩方、色々なことに気づくきっかけをくれた後輩そして一年生、一緒に「チームメイト」として過ごしてくれた同期。今までお世話になり多くを教わった東大外部のホッケー関係者の方々、剣道の先生方、「麻布」という環境。迷惑をかけながらも部活を続けさせてくれた両親と家族。そして自分が気づかないような些細な、けれど本当に重要な人生におけるすべてのこと。全ての上に自分があると感じています。

本当にありがとうございました。

自分にとって、ホッケーは文字通り「人生の一部」です。これからも続いていく人生のなかで重要な一部であり、今後に大きな影響を与えるこの4年間をこの部で過ごせて本当に良かったです。

東大大学運動会スケート部アイスホッケー部門 竹村雅之

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