氷上の追憶2018 VOL.6 #16 田村峻

開成 FW#16 田村峻


 

一文でも読んでくださる方々へ、4年間本当に見えるところ、見えないところでお世話になりました。心から感謝しています。

本当に、ありがとうございました。

 

 

氷上の追憶といえば、3年前、僕らが1年生の頃の4年生の代に有名な一編がある。小林泰先輩のもので、大きくバズって様々な影響を与えたと同時に、当時の僕らの代は散々これをいじらせていただいたりもした(ご迷惑おかけしました)。

実際追憶を書き始めるまで、こんな文章書けるかなとか書けたらいいなとか考えていたが、書き始めて全部消した。

自分にはこんな追憶は書けない。

それはこの追憶が多くの人に見てもらうためのものではないから、自分を含めた、田村峻のことを知っていると自信のある人間に理解してもらえれば十分だから。

 

 

小さい時から人間関係が下手で、周りの目を気にする癖がついていた。

どうやら人間は他人一人一人について本質を見られるほど時間も体力も持っていない。かたやいじめられて、かたや人気者で、コミュニティごとに違う扱いを受けることに辟易していた。人は、人によっては本人さえも、人をキャラでしか判断しないんだ。

自分自身に情報が付いて回る限り、自分は”頭良く”て、”やや運動音痴”で、”ややクラスの中心から外れた位置にい”るのか、と中高時代には思っていた。

最初から運動会アイスホッケーに入ろうと思ったのもそんな理由からだった。強い言葉を借りるなら、完全に大学デビューだ。運動会に入れば多少なりとも運動できるキャラに近づける。元からの知り合いもいないから部内での色眼鏡無く自分の能力を試せる。アイスホッケーは”激しくてカッコいい”からそのイメージも借りられる。

もちろんアイスホッケーという競技が楽しそうだとか、中高時代に経験できなかったちゃんとした部活生活を体験してみたいとか(中高の部活同期、ごめん)、実際本当に運動はできるようになるだろうからそうなりたいとか、部の雰囲気が良かったとか、理由は色々あるけれど、優柔不断な自分がそういうものの組み合わせで居場所を決められるはずはなく、他所を見ないように考えていたのは間違いなくそんなことだった。

こうやって田村峻を知っている自信の無い人にこういう”田村峻”を精一杯利用しようとするくせに、田村峻を知ってる自信を持って欲しい人に”田村峻”を作られるのが大嫌いだった。

だから一年生の6月のオフ明け、バッククロスの練習をみんなで始めた頃に始発待ちの松屋で櫻井に「田村は運動神経の塊って感じがする」って言った時、それに同調して桜木が「確かに弓道部やからフォームが綺麗なんやろな」って言った時、うまく行くもんだと思うと同時に、それ以上に苦々しく思った。

また君達も俺のことを見てくれないのか。

こうやって誰々が上手いだとか下手だとか真面目だとかやる気ないとか、キャラが出来上がっていってみんな無意識にその期待に応えるようになっていってしまうんだ。

スケーティングフォームが綺麗で、パック際弱くて、守備に気が利いて、全く攻めれない、そんなイメージができるのと、その通りに成長するのとどっちが原因でどっちが結果だっただろう

自分の学年が上がってきて、どんどんそんな”#16”が確立されていくと、どんどんそれに抵抗するのも難しくなっていった。

イメージで語るなとか言うのは、イメージによって悪く判断されてる人間の言うことじゃ無いと思って、それがモチベーションになった。

3年生になって終わらない議論が始まった。自分としては納得いく結論が出て、決意を書いた。勝利につながること以外の価値を与えられる組織にしたいとか考えていた。今思えばあれだけバチバチに議論することを求められていたからかもしれない。マネジメントチームに ”周りの投票”で選ばれて、いつも清水に反対した。その時はそれが必要だと思われたからだった。

そんな自分が消えた時は、求められるものが無くなる時だったかもしれない。誰でも3年生までは常に期待をかけられて過ごすことができるが、4年生になって、れいがゴールした江戸川の試合に行けなくて、最初のトップ練に行けなくて、マネジメントチームは何も決まらなさすぎて解散して、期待されるものは大きく減った。その時から自分は何を求められてるかわからなくなって、部に何を求めてるかもわからなくなって、アイスホッケーが楽しいという気持ちが残った。部に対して何か与える気持ちが尽きかけても、氷上が始まる前は1秒でも早く氷に乗りたかったし、氷上明け何するよりも先にベッドの中で練習ビデオが上がってるかを確認してしまう習慣は続いた。

チーム事情もあって氷上での期待は徐々に帰ってきた。でもそれに対する気持ちは違った。もう4年生としてその先がなかったからかもしれないが、今まではいろんなイメージを背負いながらプレーしていたのが、今度は周りの目が気にならなくなった。今までの規律を守るチームから、伸び伸びとプレーする後輩が出てきたことに、どんなにボコボコにやられたり下手だと言われようとアイスホッケーは楽しいから大丈夫であることにかなり救われたと思う。

セット組みが変わって、自分が他人を見なくてはいけない立場になった時、スキルレベルのイメージで語るのも得意なもののイメージで語るのも嫌で、それぞれの具体的にできなかったものばかりに注目するようになったら、自分が自分を試合に出さないという判断をするようになってしまった。やはり他人を見るのは難しい。他人をどう評価するかを考えて欲しいとか後輩に言った割りに、自分も全然できてない。

結局自分の価値観に合うことなんか全然できず、情けないことばかりだ。

 

 

この話はオチを迎える前にここで引退だ。

何か新しく教訓めいたことを言うのであれば、自分自身に価値を与えるのは自分、ということにしておきたい。

こうやって綺麗にまとめようとするもんじゃないんだよな

1年生の時は自分にもっと期待してた、なんでそうはなれないんだ

こんなテーマで追憶書いて読者に何を感じて欲しいんだ

結局自分や同期の決意だって胸を張って読めないじゃないか

結局得たものは、入部する時に求めたものだけで、それじゃ引退した時にこういう気持ちになるのは想像できなかったのか

でも4年間幸せだったな

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