氷上の追憶2018 VOL.1 #11 大西雄貴

副将/Alternate Captain
駒場東邦 DF#11 大西雄貴


 

年末の大掃除の際に、2017年の春からつけ始め、夏が来るまでには途絶えていた日記を見つけた。

3年になってまもない頃内容は、日頃の愚痴とか、将来の展望とか、次の日にやることとか、読んだ本の感想とか、目に止まった格言とか、筋トレの記録とか学部のこの授業が面白いとか

あとは大体部活こと。あれだけ時間を割いていたのだそれもそうか

前のシーズンに部に昇格し、部の強いチームと戦えるという高揚感、偉大な先輩が抜けた穴を埋めなければいけないという重圧、今年こそはチームをプレーで引っ張るんだ、苦しい時にゲームをコントロールできるDFになるんだという気概、責任者として臨んだ新歓で磨り減ったメンタル、指導にあたっていた一年生への期待感。

何より強く、荒い筆跡で書き残されていたのは、チームへの不満、部員とのすれ違い、あと年弱の部活生活で何が得られるのかとい問いと、焦り、戸惑い。

限りある4年という時間の中でも、ってそんなことばかり考えて足が止まりがちな時期かもしれない。ありがちな悩みでもあると思うし、追憶にはこの辺りのことから順に書いてみることにしよう(と、指定された提出期限を過ぎてから決めた)

 

 

当時の自分に見えていたのは思い出す限りこんなところである。

目の前のワンプレーに真摯に取り組んでいないように見えるプレイヤー。今から苦行にでも臨むかのような練習前のミーティング。ミスに対して飛ぶ怒号。アップやダウンを疎かにする空気感練習中のシリアスな場面でヘラヘラしているように見えるマネージャー。

緩んだ空気に何も言わない年生、苛立ちを隠さない同期。発信の少ない、何を考えているのかよくわからない後輩。

大体自分のことを他人に投影してるだけだと気づいてしまう自分

いよいよ自分たち年になるって時にな、(まだ年の春だからいよいよと言うには早かったけそんなチームの根本を変えなきゃいけないと思っていた。

根本から変わらないといけない、そうでないとまた2年後、5年後には元の状態に戻ってしまうかもしれない。だから、生半可なことではいけない。そうだ理念が必要だ、部内のすべての行動がそこから演繹されるような、そんな指針がどこかになきゃいけない。それに皆が納得して、共感して動くようなチームでありたい、そういうチームに属していたい。

そしてもう少し経つと、執行代になるにあたってミーティングが頻繁に行われるようになった。溜まりに溜まった思考を同期にぶつけてみた。こんな反応が返ってくる。

誰がそんな指針を決められるのか?決定の際に合意が取れるのか?誰がそれに納得するのか?納得できなかった人はどうなる?その人が退部したとしてその責任を負えるのか?

まあ真っ当な指摘だった。でもそれでもやらないといけないとしか考えられなかった。多分どうみても焦っていた。

一日中誰かとミーティングしているような日が続いたりもしてもがきながら一部は合意が取れてやろうとなったけれど、代替わりして、結局うまくはいかなかった。

同期、後輩から批判の目を向けられ、OBさんに否定され、自信を失い、大層なことは何一つできないんだなと悟った。このまま一年後チームを変えられなかった後悔とともに引退していくのが想像できた。

(絶望して、その度に東医戦や神戸戦でありえない程綺麗なゴールを決めて、嬉し過ぎて踏みとどまったりしていた

それでもなんとかしたいと思ってOBさんに相談し、他所の部の人の話を聞きに行き、定期的に見てもらえるコーチを呼ぼうとした。自分が2年、3年だった頃に感じていた行き詰まり感をこの先の後輩には味わわせたくないと思ったし、さらに言えば自分たちが救われたかった。でもそれも叶わなかった。

流石に引きずったりもした。新歓、春大会の時期はさらに消耗した。色々とやろうとしてうまくいかず、後輩にもきっとしんどい思いをさせていた。そんな部員を前にして、何かを発信することが怖くなっていた

(もちろんへこむような事ばかりでなくて、その時その時で楽しかったことも記憶を掘り起こせば割と出てくる

 

 

春大会が終わり、夏合宿や最後の秋シーズンが近いという時になって、もう現役として残された時間も多くなかった中、少しずつやれることとやれないことが見えてきた。とにかく目の前のこと、細かいことに腐心した。

以前と変わら自分に関しては、毎練習1時間×2の動画を繰り返し見て反省し他の動画を漁ったりしながら良いイメージを植え付け、課題を整理し何が必要か、何をすれば次の相手に勝つ可能性が1mmでも高まるか考えたこういったこと愚直に続けられたのも今思えば上の代のおかげだった)

と同時に、他のDFのプレーを一人一人動画で確認して、何が課題なのか、何を伸ばすべきか、1週間前と何が変わったか、春からどれくらい伸びたか、分析した。何か分かれば次の練習前に直接伝えようと書き留めた。ポジション別で練習する時間だけなのに、練習メニューに落とし込むのも楽ではなかった。後輩の顔色もそれまで以上に伺った。荒んでいる後輩がいれば、練習後着替えながらDFミーティングで何を言って場を和ませようか考えた。自分たちのプレーや成長をお互いに確認し、改善策を提示しあい、議論し、時に爆笑に包まれながら次の練習へのモチベーションを高めあった夏合宿のDFミーティングは、今思い出しても濃密な時間だった。練習中や前後の本当にちょっとした隙間にも、タイミングを見てたわいもない会話を挟んでいた思うようなプレーができないとか試合に出れないとか悩んでいる部員がいれば自主練に誘い、遠征中には朝わざわざ部屋まで起こし行って朝食に連れ出したりもした。そうやって目をかけていたと思っていた後輩に、逆に自分が助けられたこともあった(一度や二度ではない、むしろ支えられたという感触の方が残っている)

そんな些細で当たり前のようなことばかりだったし、それだけで精一杯だったような気もする。でもそれだけで変わってくれた人いたと思うし、その姿を少しでも見ていてくれた後輩、同期がいたと思う。その最中、目を掛けてもらっていた先輩の顔が何回も浮かんで、そのたびに自分のことに集中できたあの時期のことをありがたく思ったりもした。そして誰かにとっての後藤さんに、湯浅さんになろうと思った

 

 

もう一つ、何度も日記に書かれていたことがあった。上述のこととの板挟みで勝手に苦しんでいたところがあった。それはとてもシンプル。「一番のプレイヤーになりたい」、「誰よりもうまくありたい」。

自分たちの代が入部した時、幼少期からホッケーを続けている勝家さんという絶対的なエースがいた。そして同時に自分が上の学年になる頃には勝家さんが引退するのが分かっていた。どう見たってスキル的にも精神的にも勝家さんあっての東大だったし、だから自分が次にそこにおさまることでチームを支えようと思っていた。

そのためにはチームの同期、他大の同期に負けていられるはずがなかったし、半ば焦ったようにビジターに行き練習を積んでいた。徹底的に他大の同期と自分を比べ、七帝のベスト6に選ばれるために何が必要か考え、関東の各チームのエース一人一人を止めるイメージを叩き込んだ。ビジターできてくれた明治や日体の選手を、意地でも止めようとした(ビジターで来てくれた人、ビジター先で仲良くしてくれた人、もしこれを読んでいたら、本当にありがとう)。

2年の時は勝家さんに支えられ、完全にあの人ありきのチームで昇格した。次こそはと思っていた3年の秋大会では、得点力のないチームの中でPPの得点を取れるポジションをいただき、結果点を取れなかったから降格した。この時には自分の力が勝家さんに遠く及ばないこと、自分の成長だけでは勝てないことが嫌という程分かっていた。それを諦めてはいなかったけど、だから一層チームに目が向いていた。

自分に対してもチームに対しても、今思えばなんという欲深さだろうという感じだ。とあるチームの主将は「無邪気で傲慢」略して「むじゃごう」などと呼ばれていたそうだが、無邪気、それでいて傲慢、だなんて自分に突き刺さりすぎて、いじるにいじれなかった(ちなみにこれを諌められなかったのは本当に反省している)。

 

 

四年、そして副将としての一年間は、結果、大した戦績を残すことができなかった。秩父宮杯、3決で負け4位。秋リーグ、4勝3敗、4位で残留。七帝戦、2勝4敗、5位。個人としても、無理をすれば引退まではやれてしまいそうな微妙な怪我に悩まされ続け、ろくな選手にもなれず、ベスト6も全く届かなかった(でもスラップで決めた4ゴールだけは今でも誇らしく思っているし忘れられなさそうである)。

ただ自分が悩んで、人に頼って、時に精神を病みそうになりながら、また人に助けられ、そうやって何とかやってきたものは、1020年先の東大アイスホッケー部の行く末を左右するような大きなものではないけれど、残っていくんだろう。

それと同じで、逆に自分ができなかったことも、それがそんなに大きな影響じゃなくても残らざるを得ないんだろう

色んなことについて諦め、断念し、道半ばで挫折した。その中には悔やんでも悔やみきれないものもある。批判を恐れて発信を躊躇った瞬間。誰よりも苦しんでいただろう清水を支えきれなかったと今強く感じること。何かチームに問題があると分かってそれを自分事にできなかった時

もう引退してしまった身でこれからできることは限られているけど、必要とされる限りは関わっていきたい。後輩のみんなは引続きよろしく。

 

 

本当に最後京大戦に勝てなかったら、もし何年ぶりなんだか忘れたけど、負けていたら、どうなっていたんだろう12月、横国に負けた時は、清水ともう七帝も全敗するんじゃないかって話してて、その未来だけは想像するのも怖かった。

どう整理をつけようとしても清々しく引退ということにはならないけど、このような経験をさせてくれた周りの人たちには感謝が尽きない。家族、チームメート、OBの皆様、他大の選手、スケートリンク、中島コーチ、釧路・花巻の方々、ありがとうございました。これからもこのチームを宜しくお願いします。

 

大西雄貴

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